「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

深山宮と本堂舘跡

2009-03-28 18:56:56 | 歴史・民俗
 青笹町中沢に住む先輩が、この程、深山宮(しんざんぐう)の世話役に就任したとかで、役を拝命したとはいえ、別当家は既に無く神社の由来や歴史を知る術がなく、しかもほとんど何も知らないので、よかったら調べてくれないか・・・と以前に相談を受けておりました。

 当方としても、この分野は詳しい方ではないので、早速、ブログ仲間の笛吹童子さんに相談、何はともあれ、まずは現地を探訪してからということで、本日午後に共に探訪調査をして参りました。











 情報では遠野遺産に認定申請をしたとか、されたとか・・・どうやら既に認定済みらしい・・・。
 
 ということは、大方の由来や歴史については、地元でも十分把握されている雰囲気でもあり、簡略な由来等は我々が改めて依頼者に明らかにする必要はないと判断しましたが、自己研究という思いに切り替えました。


 石段を登って行きますと、案外大きな社に驚く・・・・。



 近年、茅葺屋根をトタン葺に改装したそうですが、社の下にある別当家は空家となって、少し廃れた時期もあったと想像もできる。
 しかし、こうして地域で遠野遺産に申請、廃れかけた歴史や文化が食い止められたという思いがしたのも事実で、なんとか守り伝えていただきたいと思ったところです。



 地域では八幡様とも呼ばれているそうで・・・・



 中央には八幡様が祀られております。







 白布に包まれた像は、かつて観音堂があって、そのお堂が焼失した際に焼け出された像なようです。





 1600年代後半の年号が入った棟札も以前に確認したと笛吹童子さんが仰せでしたが、今回は探し出せず・・・というより別当家にあるものか鰐口も見当たらず・・・・なんとか見つけ出した棟札の中で古いものは安政年間のもの?・・・・よく目にする地頭、中舘氏の名が・・・・。



 修験は大徳院長学坊とあるようです。


 また、江戸時代に近在で寄進した人々の名がズラリと・・・・寛政年間と文化年間のものが残されております。






 遠野南部家臣では末崎氏、小笠原氏、両川氏の名を確認。


 ということで、間もなく4月となろうとしているのに、雪交じりの寒風の中を探訪、道路沿いの低めの山野ということで、軽装で挑んでしまいましたが、別情報ではかつては館跡ではなかったのか、近隣での伝承に隣接する場所が館跡という内容もあるとかで、こちらの分野での期待も実は大きいのも本音でもありました。

 ですから周囲にも目を凝らして地形なんかも注視しますと・・・・



 社の東側山野には、館跡と思しき形状は確認できませんでしたが、西側の斜面には、4段からなる段差を確認、さらに消えかけておりますが、空堀跡と断定できる形状も確認いたしました。



 今回は軽装であったこと、館分野での下調べが皆無であったこと、昨夜の飲み過ぎで少し体調不良でもあったことでもあり、笛吹童子さんと別れた後は即帰宅したのですが、帰ってから例の資料をみますと・・・・「本堂舘」とあるようです。

 場所的にも合致、隣接山野に八幡神社、今は農地として削平されておりますが、空堀跡も現存するとかで、後日再調査の予定でもあります。
 また、神社のある森は観音森ともいわれ、舘跡と共に月山、今は八幡神社である深山宮の知られざる歴史も何かしら垣間見られそうな興味ある館跡でもあると感じております。


コメント (4)
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