11月4日(金)、秋田県湯沢市を行きあたりばったり訪ねて来たエントリーのつづき・・・!
小安峡の続き
モクモクと湯気が湧いているが、よく見ると遊歩道があって、どうやら谷底や湯気の近くを歩ける雰囲気なので、行ってみることに・・・。
流れ出るというか湧き出る水を触ってみると、案の定、 熱い・・・
熱湯に近い・・・
・・・おそらく熱いに違いないと思いながらも、手の届く範囲なら、つい触りたくなりますよね・・・
皆さん、ほとんどやってました・・・
紅葉もピークというかピークに近かったですね。
さて、だいぶ陽も傾きかけた頃の帰り道・・・
小安峡に行く途中に気になる場所を発見しておりましたが、時間的に余裕があったら立ち寄ろうと心に決めておりました。
それは・・・
お城・・・?
稲庭城かな?
折角なので見学していくことに・・・
銀杏が良い感じでした・・・。
城館跡探訪をひとつのライフワークにしていた身ですが、時間の関係もあって、山頂まで一気に上るスロープカーで行くことに・・・
虎猫さんにしては、なんと腰砕けか!かつての私を知っている方々なら堂々と徒歩での城攻めを・・・と思うに違いない・・・・・・ほんと!面目ない・・・
山麓駅
あ~ぁ・・・乗ってしまった・・・!・・・ 比高は200メートル近いはず?
スロープカーの車窓からは、つづら折りに登城の道がついているのを横目にみておりました・・・
山頂・・・
稲庭城
かつての二の丸跡に建てられた模擬天守・・・というか資料館
稲庭に入り、後に秋田県南地方、山形県の一部まで治める勢力を誇った小野寺氏の簡略的な歴史紹介、遺品等の展示、他に稲庭地方の伝統産業等の紹介や展示がされている。
小野寺氏が治めた時代に、この場所に(城跡)このような天守風の建物があったわけではない。
下野国(栃木県)出の小野寺氏、遠野地方(岩手県)を同時代に同じく源 頼朝から賜った阿曽沼氏とは下野国では隣接同士で祖を同じにする一族であると一応に考察されている。(藤原秀郷流)
稲庭城は流れとして小野寺氏が横手方面へも勢力が広がり、本拠地を横手城に移るまでの時代の主城という位置付けで、主城が横手に移されても一族が城主として配され小野寺領の拠点のひとつとして機能していたようです。
関ヶ原の戦いで没落した小野寺氏ではありますが、全国各地に一族が広がり、その末裔の方々は健在でもあるようです。
私が郷土史モノのホームページを開設していた頃、小野寺姓の方で小野寺氏のルーツを調べ、さらに全国の小野寺氏に関する調べを進めていたウェブサイトとリンクを結んで、色々とやりとりしていた経緯があって、当時を懐かしく思いだしながら山頂から眼下の景色を眺めておりました。(新・小野寺盛衰記)
本丸というか主郭は東側の山野に残されているようで、二の丸との間には堀切跡もみられ、遺構等も残されている雰囲気ですが、今回は城跡での遺構確認は皆無に等しく、自分でもらしくないと思うのですが、何かの機会があっての再訪の折は、見るべきものは見たいとも思うところですね・・・・・・
ところで稲庭とくれば・・・
名物は「稲庭うどん」
稲庭の旧市街地というか通りには・・・稲庭うどんメーカー?の有名処の看板等が賑やかでしたが・・・
途中で我慢できず雄勝町の道の駅でいただくことに・・・汗
やはり本場というかお膝元でいただけばよかったかな?
以上で秋田県湯沢方面への日帰りの旅特集は・・・「どんどはれっ」