17日、菩提寺である法門山福泉寺、秋の例大祭が行われました。
天気はまずまず、例年なら大観音堂付近は赤や黄色に染まり紅葉の見頃ではありますが、今年は少し早いみたいで、一部のみ色付いている感じ、よって紅葉の画像は撮る事ができず、日を改めまして福泉寺の紅葉を画像に収めたいと思います。
さて、平日の月曜日、やはり内外にはそれほど知られていないお祭り、地元でも地域のお祭りといった雰囲気ではなく、壇信徒が主のお祭りといった意味合いが強いものながら、それでも観光客の方々も時折みられ、この時期としてはなかなか見られない郷土芸能・遠野郷しし踊り(東禅寺しし踊り)が色を添えてくださり、観光客の方々には少し得した気分だったのではないのでしょうか?また外国からいらした方々の数人もいて、遠野の民俗的な部分、仏教等も感じられ、たいへん喜んでおられたようでもあります。
10月17日・福泉寺秋の例大祭、今年で40年の節目でもあります。17日を例大祭としたのは、先代の住職、宥然和尚が20年の歳月を費やし、単独で松の大木から福徳十一面観音を彫り上げ、観音様を安置する大観音堂が完成し、落慶した日が昭和40年10月17日でもあります。ちょうど今年は満40年ということになります。
私は幼少でしたが、華やかな落慶式をおぼろげながら覚えておりますし、着物を着せられ、稚児行列をさせられた記憶もございます。高さ17メートル、木彫観音では日本一の大きさ、未だに金色に輝き、見るものを圧倒する観音様、本日は本堂脇の梵鐘を七つ、急いで大観音堂に移動して、鐘を7・5・3つを鳴らした後、静かに大観音に手を合わせました。少し気持ちが落ち着き、涙腺が緩んだように思え、何十年も毎年見ていますが、オヤジと呼ばれる年代になってからは、毎年こんな感じの思いがしております。
画像は、大観音堂前で踊りを奉納する東禅寺しし踊り
※ 地元の駒木しし踊りではないのか?そんな疑問もあると思いますが、諸般の事情ということで勘弁してください。決して悪い方向性、理由ではありません。
天気はまずまず、例年なら大観音堂付近は赤や黄色に染まり紅葉の見頃ではありますが、今年は少し早いみたいで、一部のみ色付いている感じ、よって紅葉の画像は撮る事ができず、日を改めまして福泉寺の紅葉を画像に収めたいと思います。
さて、平日の月曜日、やはり内外にはそれほど知られていないお祭り、地元でも地域のお祭りといった雰囲気ではなく、壇信徒が主のお祭りといった意味合いが強いものながら、それでも観光客の方々も時折みられ、この時期としてはなかなか見られない郷土芸能・遠野郷しし踊り(東禅寺しし踊り)が色を添えてくださり、観光客の方々には少し得した気分だったのではないのでしょうか?また外国からいらした方々の数人もいて、遠野の民俗的な部分、仏教等も感じられ、たいへん喜んでおられたようでもあります。
10月17日・福泉寺秋の例大祭、今年で40年の節目でもあります。17日を例大祭としたのは、先代の住職、宥然和尚が20年の歳月を費やし、単独で松の大木から福徳十一面観音を彫り上げ、観音様を安置する大観音堂が完成し、落慶した日が昭和40年10月17日でもあります。ちょうど今年は満40年ということになります。
私は幼少でしたが、華やかな落慶式をおぼろげながら覚えておりますし、着物を着せられ、稚児行列をさせられた記憶もございます。高さ17メートル、木彫観音では日本一の大きさ、未だに金色に輝き、見るものを圧倒する観音様、本日は本堂脇の梵鐘を七つ、急いで大観音堂に移動して、鐘を7・5・3つを鳴らした後、静かに大観音に手を合わせました。少し気持ちが落ち着き、涙腺が緩んだように思え、何十年も毎年見ていますが、オヤジと呼ばれる年代になってからは、毎年こんな感じの思いがしております。
画像は、大観音堂前で踊りを奉納する東禅寺しし踊り
※ 地元の駒木しし踊りではないのか?そんな疑問もあると思いますが、諸般の事情ということで勘弁してください。決して悪い方向性、理由ではありません。
う~む、来年の10月17日。心の片隅に留めておこうかなっ。
何か、じぶん家の菩提寺の例祭って知らない・・・というかそもそもやっているかどうかが分からない。一昨日、たまたま用事があって墓地内を散策しておりましたら、これまで関心が薄かった地元の歴史をちょっと垣間見ることが出来ました。●●伊達家の霊廟なもので。改めて見るとなかなかいい場所です。
地元での檀家さんは、40戸余り、お膝元の駒木地区では20戸たらずでして、宗派が違う方々にはそれほど意味をもたないものでもあるようです。
伊達家のご霊廟なのですか?これはすごいですね。
案内板によると、初代領主の伊達成実公(とらねこさんは既にご察知かと)と、そのお父上の霊廟、そして各代の当主とお妃の墓石が幾つかあります。恥ずかしながら、先日初めてゆっくり見て知ったことです。
オラホのご先祖の墓は、その敷地の草に埋もれそうな墓石だと教えて貰ったことがありました。
遠野との関連はないでしょうが、興味がございましたら画像を撮ってフォトページに貼っておきましょうか?(ついでに)
それにしても戦国武将でしかも伊達家といえば勿論伊達政宗公、そして片倉景綱、伊達成実が人気が高いです。伊達ファンにはたまらないことでもありますよ。
地元そっちのけで遠野にうつつを抜かしているほでなすですが
でも、地元のいいとこも多少は知っている積もりです。
とはいえ、感心度はほんのチョコットですね。大雄寺は時折訪れるので、次は目的持って見てこようと思います。