「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

修学旅行

2004-12-12 00:02:48 | その他
本日は非番。天気はまあまあながら強風が吹荒れる一日。最近、風の強い日がやけに多い。
高校生の娘が関西方面に修学旅行に行っており、今日の夕方帰還予定で北上駅に迎えに行く。到着は夕方6時頃、早めに家を出て年末ジャンボ宝くじを買い、北上市内の健康ランドへ直行。一時間サウナに入った後、リクライニングベッドにて仮眠したら目覚めたのが午後5時半、寝たのが2時だったから3時間半はぐっすり眠っていたことになる。
慌てて着替えて駅に出迎え、娘に「おもしぇがったか?(楽しかったか)」と聞くと「普通」という答え、なんて言ったらよいやら、しかし、つまらなかったよりはマシと考え、なんとも複雑な心境でもありました。

私の高校生の頃は、3年生に進級する春休み、ちょうど春の選抜甲子園がはじまるあたりで、現在と同じで京都を中心とした関西方面。いつの頃から紅葉の時季に変わったかはわかりませんが、関西は桜が開花間近の季節ながら、岩手に帰ってきたら雪降りだった記憶があります。12月でも同じことが言えますがね。
東北新幹線がない頃、朝一の特急で一路上野まで、6時間の旅、山手線に乗り換えて東京駅へ、そして東海道新幹線で京都入り、日のあるうちに奈良をみて、京都泊、翌日は自由行動、班単位の行動ながら何処を観たかは記憶にないっ、ただ祇園の町並みをみて幕末の風景を思い浮かべ、新選組でも出るんじゃないかと思ったのはホントのことでもありました。翌日は清水寺とか一般的なコース、午後は宝塚に移動して歌劇団の「風と共に去りぬ」を観劇、若い女性達が涙を流して本気で声援を送り拍手する姿が妙に印象的でした。宝塚市内に泊まって翌日は姫路城、午後新幹線で東京へ向かって、夜行の専用列車で夜通しかけて帰ってきましたが、眠れなくて、通路に新聞紙を敷いて寝ていた女子生徒もいたな・・。

今は新幹線での移動、ユニバーサルスタジオ等の流行りものもコースに入り、修学旅行も学習の一環かはわかりませんが、青春時代のいい思い出になればと思うところでもあります。
あれから四半世紀以上、京都に憧れた時期もございましたが、40歳になって修学旅行以来京都に行くことができ、さらにその後2度、4年間で3度の上洛、高校生に感じた京都の雰囲気は今もなおございました。
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菊池姓

2004-12-09 20:16:07 | 菊池氏

本日は週休、雲ひとつ無い快晴の一日。しかし午前中は仕事上の会議、午後は町内史跡めぐりの絶好の日和だったが、テレビを観ているうちに眠ってしまった。なんともったいない日を過ごしたものか・・・。

さて、私は菊池姓である、私の住む遠野は四人に一人は菊池姓といわれている。学校でもクラスの三割は菊池姓であったので苗字で呼ばれることはなかった。
何故に遠野に菊池姓なのか、何度か調べてみた経過がありホームページでもいくつか取り上げているが、未だ古い家、すなわち遠野での菊池姓を古くから名乗っている家、財産があった家は調べてみたことはない。資料や書籍での調べが主でもありました。
菊池姓については今後の懸案事項でもありますが、まずは全国の菊池姓の方々とのネットを通じての交流、情報のやりとりを通じて徐々に調べを狭めて行きたい、それと平行して地元での調べも進め、何かしらの進展をみたい、これがひとつの思いでもあります。
とにかく菊池姓、昔はこんな苗字、ありふれて嫌だったが、今や誇りに思え、特に九州南朝の忠臣、菊池一族の流れが何かしら関連あると思うとその由縁に浪漫さえ感じる今日この頃である。

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葬儀にて・・

2004-12-08 19:01:16 | その他
本日は非番、例年に比べればまだまだ暖かい方であろうが、それでも冷気も感じられ、決して暖かいとはいえない一日でもありました。
そんな中、同じ集落内で葬儀があり、参列してまいりました。
故人は93歳の女性、私が成人してからは地域活動や近所での付き合いがおろそかであったため、ここ10年は見かけたことはありません。無論、先方も私のことなどわからないものと思いますが、そんな状況でも幼い頃の記憶はございます。
そのお宅にはひとつ年長の幼馴染がおりますが、小学生頃まではよく遊び、そのお婆さん(故人)に悪戯してはよく怒られたりもしました。一番記憶に残っているのは、小学校の帰り道、そのお宅には垣根のように葡萄の蔓があって秋には大粒の葡萄がたわわに実る光景がございました。
同級生と帰り道、その葡萄が食べたくて、こっそり失敬しようと計画しましたが、いざ実行となるとどうも気が進まない、でも食べたい、そんなやりとりがあったのですが、その家のおばあさんが出てきて、一房ずつ私たちにくれたという思出がございます。数日後にもいただき、バナナや葡萄といった果実はなかなか口にできなかった私にとってはほんとうれしい出来事でもありました。
私の亡き祖母と同年代の方でもありますが、幼い頃から知っている方々が今はほとんどなく、さらに亡き親父の世代でも毎年のように知っている方が他界される昨今、世代の移り変わりといいますか、時代の流れを感じずにはいられません。
ただ記憶の中の集落内の方々、親戚の方々が現実の世界でも次から次へと姿を消していく、なんとも寂しいといいますか、自らもだんだん歳を重ねているのだなあ・・と感じる一日でした。
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お江戸克服法

2004-12-06 20:50:24 | その他
本日は週休。奥方と野暮用にて北上へ出かける。夕方まで現地滞在、けっこう疲れた。

お江戸、すなわち東京であるが、高校時代の修学旅行の帰り上野へ往路立ち寄ったのが最初である。その後、就職試験で一度、20歳を過ぎてから一度、新婚旅行での往路で立ち寄ったのと、職場の研修旅行と東京ドームにて野球をしたこと・・・数えれば結構上京しているのがわかります。
が・・しかし、10年前までは電車にもひとりでは乗れず地理感覚も全く以ってわからず、決して田舎者同士では来るところではないと固く信じていたところでもありました。
私の趣味に都会めぐりというのがございます。今や上京は最低年に2度、今年は三度、この年末にも家族で上京予定ですので4度となります。今や電車のほとんどは迷うことなく乗れるし、街を歩いても目的地には難なく着けると自負もしております。
ここまでは来るには涙ぐましい努力が・・・とにかく顔は田舎人ですが都会人より早く歩く、道を間違えても間違った振りをせず、決して戻ったりしない、何処か適当な角で右折なり左折して、さらに右折、左折、遠まわりではあるが最後は来たところに着くっていう寸法である。しかし筋肉通となるのは必至。
また上を向いたり、キョロキョロするのは田舎者という人が居るけど、これは必要である。建物の大きな看板やビルの大画面スクリーンは場所を覚えるのには不可欠である。
そして一番は昼の顔と夜の顔が違うのが都会、少し怖い感じもしますが、夜の街を歩いてみる、ただ昼行く街と夜行く街が違うのが欠点でその逆のパターンだとすぐには覚えれない。また一年で新しいビルが建ったりその変貌ぶりはめまぐるしい・・。
とにかく、田舎では車社会で、車がなければ何処にも行けない、しかし東京に行くと必ず下半身の筋肉痛になる。それだけ歩いたということになろう・・・。
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常備消防と消防団

2004-12-05 16:51:10 | ファイヤー
本日は非番。例年は北風でも吹いて、小雪でも舞い散る季節であるが、昨夜から雨、気温も高く当地区においても大雨注意報が出るといったなんとも季節感が少しずれた師走の一日である。さらに風も強く、先週に強風被害が出たばかりというのに、今回の強風もなにかしら市民生活に悪戯をしなければよい・・と思う日でもあります。

さて、私は常備消防、すなわち消防署員であるが、消防署員と消防団の区分けがメディアにはわからないのではないのか、いつも何かしらの災害ニュースを観た時感じている。
特に新聞よりもテレビに多いとも感じられる。

とある災害ドキュメンタリー番組で○○消防署、第一分団部長とともに氏名のテロップ、これからして無知な報道機関を露にしている。本来は○○市消防団、第一分団○○部長である。災害関係の番組を組んで災害を検証、防災関連を強くアピールするものなら少しは組織体制くらい把握して放送してもいいのではないのか・・・。消防機関による組織関連のアピール不足も認めるが、メディアで間違いのまま放送されては、これらを知らない一般の方々はそれを鵜呑みにしてしまう。

消防団も消防署も同じ使命を帯びてはいる、そのとおりである。が消防団とは市町村の管轄下にて災害活動を行ういわばボランティア団体というべき組織である。無論、ただのボランティアではない、それなりの報酬が支給はされるが、微々たるものである。団員の方々は生業を持ち、サラリーマンだったり、農業だったり、自営業だったり、公務員だったり・・有事の際に駆けつけて活動する義勇的意味合いがある。
消防署員は地方公務員、いわば消防のプロである。災害現場で共に活動する消防団員とは、装備も訓練そのものも違う、これらを同じに見られ批判でもされたらたまったものではない、特に消防団に関しての批判は少し可哀想でもある。

今回言いたかったのは、せめて報道機関が防災関連の番組を組むならば消防の初歩的な組織くらいは知っていてほしい、ただそれだけです。
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師走・・

2004-12-01 09:10:50 | 歴史・民俗
今年2004年も早12月、一年は早いものですね。
今年はいつになく歴史探訪含み遠出の回数が増えた年でもありました。
まずは皮切りに遠野阿曽沼氏発祥の地、栃木県佐野市の訪問を2月に、遠野南部氏縁の山梨県身延町をリンク仲間の稲用氏、高橋氏のご同行で実施、その前日には東京品川にて幕末仲間とのミニオフを4月に、5月には盛岡にて南部氏関連にてお世話いただいている工藤先生を囲んで稲用氏、飯田氏、さらに紫波の中野氏と共に盃を酌み交わし、一週間後には八戸訪問、飯田氏、八戸逗留中の稲用氏と再会し歴史談義。
6月末、戊辰戦争関連の拙サイトへお越しの幕末ファンと会津若松にてオフ会、史跡探訪と郷土料理、酒を堪能、8月、秋田市にて戊辰戦争関連史跡若干見学。10月には研修視察旅行で関西訪問、自由時間に遠野南部の殿様の先祖、南部師行公の足跡を訪ね大阪阿倍野神社、堺市石津を訪ね、枚方の阿弖流為首塚、さらに京都にて我家の伝説関連縁の寺、安楽寺を訪ねることができました。
10月末、八戸再訪、歴史シンポジウム参加、津軽浪岡訪問。そして11月末、宮城の白石城、山形にて伊勢の永田氏とお会いして歴史談義。

またサイトを通じてお迎えしての出会いも例年よりございました。
2月のどべっこ祭りでは、見ず知らずの方々と意気投合、その後サイトを通じてのお付き合いも継続中でもあります。5月、遠野ざっこ祭りに2度出没、実際は4度・・。
同月、埼玉のご夫婦をお迎えしてのジンギスカン、10月、こちらにて書き込みいただく栃木見の暁さんをお迎えしてのジンギスカンオフ。

今年はサイト関連の催しが結構あったと思いますし、その運営も充実していたと自負しております。
懸案だった事項もだいぶ消化、最大の懸案事項は、明治時代、我家に滞在すること7年、菩提寺である福泉寺開基に多大な影響を与え、さらに我家、先祖の大恩人とされる真言行者、前川慶喜師、この前川師の墓前にて手を合わせることと、できればご子孫、縁の方とお会いしたい、これが最大の懸案事項でもあります。こちらは調べも進まずいつになるやらわかりませんが、いずれ本格的に実現に向けたいと思うところです。
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