昨日は、ようやく春の訪れを思わせる穏やかに一日、圧雪路もアスファルトが見えるところまで融け、屋根の雪もほとんど落下、また本日は朝から本格的な雨模様、突風も吹荒れ、まさに春の嵐かと思わせるも、やがて雨も小雪に変わり、風も少し冷たく感じられる。
しかし、これから日一日と寒暖を繰り返しながら徐々に春に向かっていく、気持ち的にはようやくここまで来たかという思いでもある。
南北朝時代
太平記などど知られる戦乱の世、楠正成や新田義貞、足利尊氏に後醍醐天皇・・朝廷が二つに分裂し、互いに争った時代、南北朝時代・・。しかし、世に知られる事柄は、京都、吉野の中央での出来事、その中での南朝方の悲壮感漂う姿、足利政権たる武家政権の復活・・。奥州の南北朝に関する歴史はそれほど多く語られないのが現状でもあろう。
僅かに北畠顕家が陸奥守として下向し、奥州軍を率いて足利方を破り、二度目にして戦場の露と消えた事が語られることでもある。
しかし、その後、顕家の弟、北畠顕信が下向、兄の跡を受けて、奥羽にその足跡を残し、彼は流浪の将軍と呼ばれるが如く、劣性の南朝方に指令を送りながら、拠点を変えつつ活躍した史実もある。多くは奥羽は結局、北朝方に大半が侵食されたかのような歴史ではありますが、実は四国二つ分の広大な地域、すなわち北奥羽は南朝方に守られ、南北合一まで確保されていた史実でもあります。その中心は遠野南部氏の先祖、八戸地方を拠点としていた南部氏であること、こちらも中央ではよくは知られていない事でもあります。
無論、歴史の流れからしても、当時の政治情勢からしても北奥羽という観点は重要視されないことでもあろうかとは思います。しかし、現在の青森、岩手の北半分、秋田といった広大な地域、東北地方の3分の1に該当する地域を南朝方として把握していたという史実、これは見逃すことは出来ないことではないのか、今後、中央の流れも含み、北奥羽史、極めていきたいと考えているところです。
ところで、話は少し逸れますが、南部師行公が八戸を拝領、八戸根城を築き以来南部氏の拠点となったという所伝、これは果たして史実だろうか?南部氏の研究をはじめてから疑問に思うところでもある。八戸の方々の思い、その子孫が移り住み、そして私の暮す遠野でもまだまだ根強い思いでもありますが、師行公と八戸の関連は史料からも読み取れるも、八戸が領地であったこと、これはそれなりの再研究が必要ではないのか?私はその後の南部政長公、信光公の時代まで繰り下がると考えておりますが、根拠等は南部氏関連のサイトにて明らかにして参りたいと考えております。
しかし、これから日一日と寒暖を繰り返しながら徐々に春に向かっていく、気持ち的にはようやくここまで来たかという思いでもある。
南北朝時代
太平記などど知られる戦乱の世、楠正成や新田義貞、足利尊氏に後醍醐天皇・・朝廷が二つに分裂し、互いに争った時代、南北朝時代・・。しかし、世に知られる事柄は、京都、吉野の中央での出来事、その中での南朝方の悲壮感漂う姿、足利政権たる武家政権の復活・・。奥州の南北朝に関する歴史はそれほど多く語られないのが現状でもあろう。
僅かに北畠顕家が陸奥守として下向し、奥州軍を率いて足利方を破り、二度目にして戦場の露と消えた事が語られることでもある。
しかし、その後、顕家の弟、北畠顕信が下向、兄の跡を受けて、奥羽にその足跡を残し、彼は流浪の将軍と呼ばれるが如く、劣性の南朝方に指令を送りながら、拠点を変えつつ活躍した史実もある。多くは奥羽は結局、北朝方に大半が侵食されたかのような歴史ではありますが、実は四国二つ分の広大な地域、すなわち北奥羽は南朝方に守られ、南北合一まで確保されていた史実でもあります。その中心は遠野南部氏の先祖、八戸地方を拠点としていた南部氏であること、こちらも中央ではよくは知られていない事でもあります。
無論、歴史の流れからしても、当時の政治情勢からしても北奥羽という観点は重要視されないことでもあろうかとは思います。しかし、現在の青森、岩手の北半分、秋田といった広大な地域、東北地方の3分の1に該当する地域を南朝方として把握していたという史実、これは見逃すことは出来ないことではないのか、今後、中央の流れも含み、北奥羽史、極めていきたいと考えているところです。
ところで、話は少し逸れますが、南部師行公が八戸を拝領、八戸根城を築き以来南部氏の拠点となったという所伝、これは果たして史実だろうか?南部氏の研究をはじめてから疑問に思うところでもある。八戸の方々の思い、その子孫が移り住み、そして私の暮す遠野でもまだまだ根強い思いでもありますが、師行公と八戸の関連は史料からも読み取れるも、八戸が領地であったこと、これはそれなりの再研究が必要ではないのか?私はその後の南部政長公、信光公の時代まで繰り下がると考えておりますが、根拠等は南部氏関連のサイトにて明らかにして参りたいと考えております。
