「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

ラーメン

2005-03-21 22:16:04 | その他
子供の頃のご馳走といいますか、食べたいものといえば「ライスカレー」に「ラーメン」それもライスカレーは家で作る芋、人参いっぱいのカレーのこと、そしてラーメンはインスタントのことである。
ラーメンに関しては特別な存在、食堂で食べる「中華そば」のこと、昔は子供でも「支那そば」と呼んでいた。この中華そばが食べたくて食べたくて、まさに年に一回か二回の外食といえばこの中華そば、これが贅沢なものでありました。
子供ながらに、食べれる機会は年に最低一回、東映の子供マンガ祭りという映画、これに友達と一緒に行き、観たあとに食べて帰ってくる、これが楽しみでもありました。
バス賃と映画代、そして中華そば代、ギリギリであったが、親が唯一くれる贅沢な小遣いでもありました。
さらに小学校も高学年になると床屋(散髪)に親とは行かず、同級生同士で土曜の午後に行く、床屋代とバス賃、若干のおつりがくるがこれは飴玉かガムを買えば終わり、そんな中、同級生達は帰りにラーメンを食べる、私は持ち金がない、勇町というバス停のある食堂でいつもバスを待つが、ここでラーメンを食べるのがステータス、それか駅前の三楽、金のない私は隠れるように一人表で辛い思いをしていたことを思い出す。
友達にこういったときは友情なんかないっ、「なんでたべねんだっ」私「はらいでがら」友達「ふ~ん、じぇにっこねえんだべっ」私「・・・・」あまけに、たべ終わったあとに「うめがったな、まだかんねばねえなあ」とくる。さらに翌日は「○○、じぇにねくて支那そばかんねがったっけ」と言いふらす始末、貧乏とはいえ、今でいえばイジメですよね。ただ、彼らもラーメン食べれば所持金はゼロ、バス代のみであり、それほど裕福ではなかったのです。毎回食べれる友達はいなくて、誰かは私のような存在が必ずおりました。
友情・・こういった場合、お金に余裕のある友達がラーメン食べれない人に都合してやる、或いは半分食べたら食べさせてやる、こんな考えは微塵も湧かなかったし、考えもしないことでもありました。
それだけ私含み当時の子供にはご馳走だったのです。
コメント (5)
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