これから記述する内容が遠野郷土史家の先生方や学者先生方にどれほど検討論議されたのか、また批評されたものなのか、その展開が小生にとっては未だ不明という状態であり、さらにある程度の評価を得て遠野郷土史、特に阿曽沼時代といわれる遠野中世期における通説が書き換えられた、或いはそれに近い内容が識者の間で取り入れられ史実として語られているものなのか?いやっ、全く論外との位置付けで黙殺されたのか?・・・・小生の印象では論外との位置付けでその後の展開に影響なしとした雰囲気が感じられ今日に至っているものと思われます。
さて、1990年代初頭、古書「阿曽沼家乗」を含む古書の解説を遠野市から依頼された某学者先生による論説が残されている。
遠野郷土史界にとっては驚愕する内容が多数含まれ、異説と捉える先生方も多数存在したのではないだろうか?
しかし、何度その論説を読み返しても説得力があると言いますか、理論付けもしっかりしていると小生は感じられ、賛同する場面も多々あります。
古文書というよりその地域の歴史やら武家の歴史を著す古書の多くは、編纂した側の思い込みや時には故意に操作された内容も多数あると指摘され、それがイコール史実ではないということは皆さんも感じていることだと思いますので、どの古書がそうだとかはここでは記述はいたしませんし、小生のような浅学といいますか学識を持たない素人が言うことでもありません。
そんな事も踏まえまして僭越ながらも下記の内容について記述したいと思います。
上記の譲状について、まずは「遠野市史1」での見解は・・・
結論から言えば、小山氏(藤姓小山氏、藤原秀郷流で阿曽沼氏とは同族・関東の大族)の譲状であり、観応年間は南北朝争乱の時代で北朝方(足利)の小山氏、南朝方(宮)の阿曽沼氏が隣接同士で争い、名目上小山氏は阿曽沼氏所領を自領と称したものとしている。
後に別見解が示され、概ね次の通りの説が主流となっているものと思われますが、小生もこの説を一応支持している。
この譲状は小山文書の中に入っていたため長らく小山秀親の譲状とされてきたが、譲状の冒頭に「一所、下野国阿曽沼郡内阿曽沼郷・・・」とあること、さらに「陸奥国遠野保・・」とあり、この内容は阿曽沼氏惣領家、すなわち阿曽沼秀親の譲状と史家達が見解を示したものと思われる。
阿曽沼氏歴代や伝えられる一族に秀親なる名は散見されないとされるが、下野国本貫地には阿曽沼主家が顕在であり、その庶流一族が全国に散らばる阿曽沼氏所領に移り代官として統治していたとする見解で謎の部分も若干残るも概ねこの説で説明がつく内容でもあると考える。(栃木県史研究第12号)(佐野市史)
しかるに某学者先生の説は・・・
小山氏の譲状としたうえで、譲状の「陸奥国遠野保・・・」条の次に「同国江刺郡角懸郷・・・」とあることから前出の条は即遠野(岩手県遠野)の事と妄解したためとしている。
小山氏文書陸奥国の条・「嫡子所領分之事」に・・・
「一、陸奥国菊田庄<加湯竈郷定>遠野保地頭職事。江刺郡内角懸郷半分地頭職事。」とあり、ここでいう遠野保とは福島県いわき地方の遠野と指摘している。
確かに福島県に遠野という地名を確認といいますか、以前研修旅行で名称変更されていますが・・・笑・・・常磐ハワイアンセンターに行った際に遠野高校が近隣にあった記憶が・・・ホント。
小山文書の遠野保関連の条は書籍等では未確認ですが、確かに某学者先生の説は説得力があるように思えますが、そうなると下野国阿曽沼郷・・・や佐野庄も小山氏の所領であり、阿曽沼氏は何処に居たのか?阿曽沼氏の一族は安芸国(広島)にも分流があることは知られておりますが、既に下野国の阿曽沼氏は没落していたのか?そして遠野保とは小生の住む遠野のことではないのか?
ただ結論からいえば、やはり遠野南部家文書にある建武元年8月3日付の国宣、すなわち「阿曽沼下野権守朝綱代朝兼申遠野保事・・・・」この教書は北奥羽検断職であった南部師行に送達された北畠顕家の教書であり、北奥羽管轄であった南部師行が磐城地方(現福島県)の争乱対応の命令を受けることは考えられないことでもあり、やはり遠野は建武年間以前から遠野と呼ばれていたことは間違いないこと、そして阿曽沼・・・とあるように阿曽沼氏に縁のある土地であったことは史実といえます。
そして阿曽沼の起こりは下野国ではなく、福島の阿沼郡としているが、藤原秀親の譲状が観応年間のものとするならば、下野国阿曽沼郷・・・とあるように以前から阿曽沼という地名ではなかったのか?
松崎町駒木・・・阿曽沼館跡
天然の堀と成したと伝わる大沢川
いずれにしても、どの説も今一度仕切り直しといいますか、さらに詳しく精度の高い研究が求められる内容でもあって、この分野も難解と感じているところです。
この某学者先生、この後、あまり芳しくない風評やら噂が出て参りますが、このことを以て論説を否定するものではありません。
ただやり過ぎた印象は否めませんがね。