ざっーと、2人の頭上の木立が騒ぎました。空にも雲が延びて来たので地表に届く日差しは薄日になって来ました。辺りの景色が鮮明さを失い、風も生暖かい空気の流れに変わりました。釣り竿を前に、2人はそれぞれに、お互いがお互いに、思い思いの違う事を考えていました。
マルは自身の釣りの意味についてどうまとめるかを考えていました。一方紫苑さんの方は、今は亡き彼の妻との出会いの場面や、彼女と自分との過去の思い出の記憶をあれこれと鮮明に彼の胸に甦らせていました。
「釣りは私と魚の戯れです。私にとっての戯れ。魚にとっても私との戯れです。」
私は魚と遊んでいるんです。そして私もまた魚に遊んでもらっているのです。
「ほう。」
横で紫苑さんが呟きました。この時、妻との過去の回想に浸る紫苑さんにとっては、殆どマルの話は上の空なのですが、一応釣りに来た連れの話に耳は傾けていました。
「私はうまく魚を出し抜いて釣り上げ、彼とコンタクトを取ろとしているし。」
なるほど、と紫苑さん。
「魚は私に騙されまいとして鳴りを潜め、用心している。」
…。
「私に殺意や邪気が無いと知れば、彼は安心して私と遊ぶ為姿を現し、様子を見て釣り上げられてくれるんです。」
…。そんな事がね。と、俯いて考え込む紫苑さん。
「まだこの先が有るんですよ。」
釣り上げた魚と私との、これからが遊びの神髄です。水中と地上で今まで住む世界の分れていた2人が、この時初めて直に触れ合ってコンタクトを取る事が出来るようになったんです。私は水に沈めたびくの中に彼を泳がせ、そんな命ある彼を自身の手で直に触る事が出来るようになったんです。この世で自分とは違う生物としての彼、魚という彼の存在を直に確かめる事が出来るんです、お互いにね。異生物との遭遇、出会いの喜び、コンタクトして、コミュニケーションできる楽しさ。
「ねぇ、素晴らしいでしょう。」
こんなに素敵で楽しい魚との戯れが有りますか?。マルは何とか自身の釣りについて上手くまとめる事が出来たと感じ、にこりと笑うと、満足気に紫苑さんの方向を見詰めました。