2人はこの地域に古くからある濠を湛えた城跡の公園へと和やかにやって来ました。
「いゃあ、」「ははははは…」と、お互い話も尽きず。彼等は如何にもご満悦な様子で終始笑顔のまま和気藹々とした雰囲気でいます。しかし、そんな笑顔の紫苑さんの顔が、ふいとお濠の水面を見て固まりました。おやっとマルも紫苑さんの異変に気付いて話しを止めました。彼は怪訝に思い、紫苑さんの視線の先を見てみました。すると、「ここでは釣りを禁止します。 ○○市」の黒い文字が二行に書かれ、白い看板が如何にも背伸びするような感じで水面にそそり立っていました。
「無粋な。」
紫苑さんが呟きました。
「誠に。」
とマルも応じました。続けて紫苑さんが「人の、否、子供の楽しみを奪うなんて、何と言う事だ!。行政も如何言うつもりなんだろう。」と息巻きました。2人は今迄の楽しい気分が急にしぼんでしまいました。
「不愉快な、帰りましょうか?。」
紫苑さんは目の前の看板を見据えて、共にここ迄歩いて来た連れに尋ねました。「いやぁ、何とも。」と、マルは答えました。
この幼い時からの馴染みの釣り場を、新しい友人に紹介しようと気分も浮き浮きと、友人をここ迄連れて来た紫苑さんでした。彼は何だか引っ込みが付かない気持ちでいます。思わずむしゃくしゃして自分の足元に転がっていた小石を拾って、看板に命中させようという気持ちは無かったのですが、憎い仇の近く目掛けて投げ込みました。
こん!。小石は見事に看板に命中しました。しかも「○○市」の文字の書かれている部分です。あらっと紫苑さんは内心驚きましたが、見ていたマルも驚きました。いやぁお見事!と、両の手を打って喝采しました。そしてどれと、私も一発と近くに転がっていた小石を拾い上げて、彼は勇んで紫苑さんに続きました。
バキン!
マルの投げた小石は目にも止まらぬ、紫苑さんにですが、高速で空を滑ると、看板の水中から出ている根元にどんぴしゃりと命中しました。看板は宙に浮きあがり、ゆっくりと姿勢を崩して、空間を揺らめくようにして移動すると次の瞬間には地球の重力に引かて水中へと落下しました。その後、その白い板は如何いう物か、水中の藻にでもからめとられたのか、微かな動きを見せる内に濠の底深く沈んでしまった様子です。水面からは見渡す限り、全く白い物の姿など見えなくなって仕舞いました。水上には綺麗に先端が折れた白塗りの木の杭だけが只々残っているばかりです。まるで斧にでも綺麗に切り落とされた材の切り口のようです。
紫苑さんはポカンと口を開けた儘に、全く実際目にもとまらぬこのマルの早業の一部始終を眺めていましたが、次の瞬間、えっ!と驚きの声を上げました。そして思わず横にいるマルに目を遣りしげしげと彼を見詰めました。
「いやいや、これは…、…また何と見事な腕前ですな。」
紫苑さんの口からため息が漏れました。
紫苑さんの目が恵比寿様のように細くなり、思わず彼の口元に不敵な笑みが浮かびました。一緒の連れがなかなかの兵と分かり頼もしく思ったのです。マルの方もいやいやと彼に応じると、「昔取った杵柄ですよ。」と、こんな時のこの地での定番のきまり文句を仄めかすのでした。
さて、邪魔な文言の立て札は無くなりました。2人はいざと涼しい顔をして、自分の役目を果たすために申し訳の様に水面に顔を出した白塗りの木の棒の前に腰を下ろすと、持って来た釣り竿の針に思い思いの餌を取りつけて、その先を水中に投げ入れました。
とぷん!とぷん!
2人の竿についている浮きが、ぽこり、ぽこりと水面に頭を浮かび上がらせると、水中の何かしらの魚を釣り上げる迄の準備が整った2人は、目を細くして顔を見合わせ、彼等の遠い日の少年時代を思い起こすように笑い合いました。