さて、そんな父子の親子喧嘩は発展せずに直ぐに終了した。私が
「私はお母さんみたいに、有りもしない事を言ったりしない。」
こう父に言放つと、父はあんぐりと口を開けて、お前の、お母さんの話だろうなと私に念を押す様に聞くと、はてさてと顎に手を遣り考え始めた所で、階段の登り口から祖母の父を呼ぶ四郎という声が掛かったからだ。
祖母はその直後2階に姿を現し、父に私の母にも話を聞いておいでと言うと、父は二つ返事で直ぐに階下へと降りて行った。2階には祖母と私だけの2人となった。
「お母さんと何かあったのかい?。」
祖母が訊いて来る。母と?、今私が言い争っていたのは父である。そう思うと私は祖母の話にも解せない物を感じた。今日の家の大人は、誰をとっても話が通じない会話をして来るのだ。私は物事がスッキリと見えないこの現象に、未だに曖昧模糊とした感情を感じた儘でいた。この現象は何時まで続くのだろうか、私がうんざり仕掛けた頃、祖母がにっこりとして私に語り掛けて来た。
「物が分かった様で未だよくは分からない年頃なんだねえ。」
祖母には今の私の状態が分かるというのだ。何人も子供を育てたし、近年は孫も何人か見て来たからね。そんな事を彼女は私に言った。
「さて、お前は今何に引っ掛かっているんだろうね。」
そう言うと、彼女は順に解決して行こうじゃないかと言う。そうして、2階に来てから今迄、彼女の後ろに回していた彼女の片手を私の目の前に差し出してみせた。その掌の上には黒く細い棒のような物が有った。その細い棒を彼女は親指で抑え、掌の上で私に示すように載せてみせ、彼女は私にその代物をよく見て調べてごらんと差し出してくるのだ。
その黒い物体は40㎝は有ろうかという長さで、色は真っ黒だった。次に祖母はその棒の両端を掴むと、手で撓らせるように軽く数回曲げてみせた。彼女は、こう柔らかく曲がる事をしなるというのだと説明すると、私に持ってごらんと言う。私がその棒の正体の分らない不気味さに怖じ気づいていると、彼女はその極めて細い棒を私の目の前の机の上に置いた。
机上という目前で、私が棒の全体像を子細に眺めてみると、棒は決して一筋の直線では無く、両端で太さに差がある様子だ。また棒は平たんで無く丸みを帯びている立体感を感じた。棒の端を見ると、その片方の先端に蠅叩きの様な形をした平たく極小さなへらが着いていた。私が思い切って手を出して棒を握ると、小枝の様な握り具合だが、木とは違う手触りを感じた。私には未だ黒一色というのが不気味な気がした。それも闇に溶けそうな真の黒色なのだ。如何にも不気味さか募ってくる、思わず私は棒から手を離した。
その後も、私が怪訝に思いこの未知の品物を見詰めていると、祖母はそれは鞭という物だと言った。
「お祖母ちゃんはお前が家に入って来た時、それで息子を打とうとしていたんだよ。」
息子というのは私の父の事だと、彼女は回想するように遠い目になると、言葉付きも弱弱しくなり、
「私はそんな母親になろうとしていたんだよ。」
否、もうなったんだよ。とほっそりとした言葉を唇から零した。