Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

マルのじれんま 43

2020-06-08 10:14:59 | 日記
 紫苑さんは至って気分よくご機嫌でした。昔懐かしい銭湯の雰囲気、懐かしい牛乳瓶、ミニチュアのレトロな昭和、大正時代の懐かしい感覚の中にいて、牛乳瓶から味わうりんごジュースの澄んだ琥珀色の液体を堪能してしました。

『懐かしいなぁ、昔ながらの味、思い出の中の記憶に残る味と同じだ。』

紫苑さんが円萬さんに勧められて、風呂上りに冷蔵庫の中から選んだのはりんごジュースでした。彼がこの透明なりんごシュースに釣られたのは、昔母と銭湯帰りに商店のお店でよくこの飲料を買って帰り、家で落ち着いてこの味覚を味わったからでした。

 『懐かしいなぁ、母もこのジュースが大層好きだった。』

亡き母の若かりし頃の優しい笑顔が浮かんできます。妻と違い、母になると悲しさより懐かしさが先に立ってきます。自分もまだほんの子供だった頃、純真な童子だった事だと、彼の脳裏には、はしゃぐ自分の幼い姿が浮かんできます。美しく良い思い出だけが浮かんできます。幸福な時代だ。良い時代だったと感慨深く思いを巡らしていた紫苑さんでした。ましてや風呂上がりです、彼の気分は上々、明るく高揚していました。

 そこへこのマルの問いかけが入り込んできました。紫苑さんはああんと、一瞬彼の淡い感情に影が生じたのですが、彼の癇癪を呼び覚ます迄の効果には至りませんでした。

「そうですな…。」

そんな返事をして、彼は自身の若い頃の記憶を呼び起こしていました。そうだなぁ、自分達の事を、目の前にいる縁萬さんになら話してみても良いかな。何時しか紫苑さんはそんな風に考えていました。

マルのじれんま 42

2020-06-06 09:55:02 | 日記
 「いやぁ、本とに?。」

脱衣室からは大人の男性2人の楽しそうな笑い声が聞こえます。2人は小さなテーブルと、そこに備えられているやはり小さな椅子に腰かけて、思い思いの飲料が入った小さめの牛乳瓶をテーブルの上に並べていました。

 「私はよく妻が栓を抜いてくれたものですよ。」

先程の要領でねと、紫苑さんはさも照れ臭そうにマルに話していました。ほおおとマル。それはよく出来た奥様でしたなぁ、奥様を先に亡くされたのは如何にも残念な事でしたなぁと、彼はさも無念そうな声で紫苑さんを慰めました。ここでやはりほろりとして涙目になって仕舞う紫苑さんです。一寸した些細な事が亡き妻との思い出に繋がってしまうのですから、男寡というのは極めて悲しい物です。今迄もマルは言葉を選び、相手の様子を見てかなり気を配って紫苑さんに接してきたのです。今回は心療専門のシルも来てくれているのです、彼はやや気持ちが楽になっていましたから、ここで少し紫苑さんの心に踏み込んだ言葉がけをしてみる事にしました。

 「先程の話、そもそもその様によく出来た奥様との馴れ初めはどのような物だったのでしょうか。」

ぜひお聞きしたいですなぁと、ここ自宅、実は宇宙船から地球上への基地である一見寺に見えるという施設に、漸く迎え入れた客人である地球人の紫苑さんに、彼から地球人の恋バナである恋愛談を聞き出そうと、マルは穏やかで明るい微笑みを浮かべて対話の相手の顔を眺め試みるのでした。

 果たして彼のこの試みは成功するや否や?。また、紫苑さんは問われるままに亡き妻との恋愛経験を彼に話して、彼女を亡くした悲哀の波を無事乗り切る事が出来るのか、否なのか?。この結果は先を御覧じろという所です。

マルのじれんま 41

2020-06-05 09:46:12 | 日記
 紫苑さんは喉の渇きを覚えましたが、これは人様の家の物と思うと、自分勝手に目の前のガラスの戸を引いて中の飲料を取り出す訳にも行きません。この家の主、円萬さんが浴室から上がって来るのを待つ事にしました。

 そこで彼はせめて涼を取ろうと考え、坪庭に向かうと、そこで閉め切ってあったガラス戸をがらがらと開きました。ほうっと息を吐くと、彼は外の大気に当たって深呼吸してみました。雨上がりのアスファルトの匂いと、古めかしい曲がった樹木の匂い、湿った苔の匂いが漂ってきます。

 はて、この坪庭の塀の向こうは寺の駐車場になっているのだろうか?それとも外の通りに面しているのだろうか?、それにしても、この古い木は梅の古木のようだなと、紫苑さんは思いつくままに推量してみました。

 一息入れた彼はその後室内に振り向きました。そこで扇風機の風に当たりたいと感じると、天井を見上げ、頭上に備えられたファンのスイッチを探してみます。どれどれ、ああ、有りました。廊下からの入り口の横壁に、電気のスイッチが何列か並んでいるのが彼の目に入ります。そのどれかがファンを動かす物のようです。彼はスイッチに近付きよく調べてみました。なるほど、スイッチの真下の物にだけプロペラの絵が描かれていました。

『これだな。』

このスイッチを押すとファンが回るのだと彼は思いました。そしてこのくらいは客の私でも触ってよいだろうと考えると、彼はその絵が描かれているスイッチをポンと押してみました。

 やはりそれは天井に備え付けられた扇風機のスイッチでした。見上げる彼の目にくるくると羽が回り出しました。羽が回転するにつれ風が頭上から吹き降ろして来ます。この扇風機用のコントローラーが近くに無い所を見ると、これは入る切るの2種類しか出来ないのでしょう。彼は試しにともう一度同じスイッチを押してみました。ぶーん!、羽の回転速度が速くなりました。あら、こんな仕組みなんだと彼は合点しました。

 この様に紫苑さんが興味の向くままに脱衣室の扇風機のスイッチでかちかちと遊んでいると、と、風呂から上がって来たマルの目には映ったのですが、彼の湯上りの赤い顔を見た紫苑さんの方は、彼なりに気を利かせてファンの回転速度を上げました。

 ゴー!、しゅるしゅるー。

「おお、これは、涼しいですなぁ。」

マルは思わず感嘆して天上を見上げました。

「なんと便利な物ですな、こんな風に使う物だったんですね。」

マルが感心したようにこう言った物ですから、紫苑さんは真顔でえっ!、と、驚きました。そしてすぐにマルお得意の何時ものジョークだなと判じると、ハハハと笑い、

「左様左様、飛行機のプロペラはこの様に回転させる物のようですな。」

と、澄まして答えました。

 

マルのじれんま 40

2020-06-04 16:49:03 | 日記
 「おや、これは、」脱衣室に入った紫苑さんは呟きました。浴室から入ってみるとこの部屋には新しい発見が有りました。何と、廊下からの入り口がある壁の隅の上部に、張り出し棚が有り、その上に小さなテレビが乗っかっているのです。

 あら、これはまぁ、銭湯の脱衣場の様にと紫苑さんは思いました。試しに天井を見上げてみると、有りました。やはり大きなプロペラがその中央に設置されています。無論銭湯程に天井が高い訳が無いのですが、一般の家にと思うと、それは吹き抜けくらいの感覚の作りになっているのでしょう。窓の外には坪庭など設えてある様子です。その庭に続くガラス戸に寄って向こう側を覗いてみると、窓の向こうは縁側のようです。小作りな木製の廊下が続いています。廊下の端はというと、行き止まりの白壁です。廊下の横手にドアが有りそこには半坪程の個室が有ります。『厠だな。』紫苑さんは思いました。

 昔紫苑さんの近所にあった銭湯が、やはりこんな風に脱衣場の傍に坪庭を造り、そこにトイレを設置していたのです。ふうむと紫苑さんは唸りました。これはまた、円萬さんの家はなかなか趣向を凝らした家のようだ。風流なんだなと感嘆しました。

「なかなか楽しめそうなお家だな。」

紫苑さんは朗らかな笑顔になりました。
 
 さてと、紫苑さんは室内へと振り返りました。着替えが用意してあるという事でしたから、それを確認して早めに身に着けて仕舞おうと思ったのです。未だ湯上りで暑い最中、下着だけでも身に着けておこうかと考えながら棚、棚と、彼は先程自分の衣服を脱いだ棚の辺りに目を遣りました。

 あら、あれは…?。紫苑さんは横壁に設置された白いボックスに気付きました。上部にガラスがはまっています。ガラスは引き違い扉になっている様子です。手拭いを腰に巻いて、彼はそのガラスの戸が付いたボックスの傍に寄るとどれと中を覗き込んで見ました。果たして、ボックスの中にはガラス製の小瓶が並んでいました。白、黄色、茶色、飴色と4色ほどあり、彼がそうと合点してボックスの横手を覗いてよくよく見ると、そこには紐がぶら下がり、紐の先にはぷらっすチック性の小さな細長い棒の様な物が付いています。棒の先は中身のくりぬかれた円状で、円の中には先の細く尖った金属の目打が付いていました。

 「なるほど、栓抜きね。」

芸が細かいなぁと紫苑さんは目を細めて笑ってしまいました。ボックスは乳飲料用の冷蔵庫であり、脇にぶら下がっているプラスチックは、ボックスの中の飲料瓶の上部で蓋をしている、紙蓋で出来た栓を抜く栓抜きというセットです。銭湯の脱衣場ではお馴染みの小道具セットでした。

マルのじれんま 39

2020-06-02 11:02:41 | 日記
 実際、パネル操作だけで後は手間無しコンピューター任せ、シルはここでもすぐに1コースの地球人、日本人仕様のおもてなし料理を完成させました。

 パチパチパチ、彼女は拍手喝采!します。キャッキャとはしゃぐと自画自賛して、彼女はお盆の上に彩りよく仕上がった川魚料理を見詰め、目を細めて眺め渡すとその出来栄えを堪能しました。

 さて、湯殿の2人は如何したでしょう。彼女は2人が風呂から上がるのを待つ間、客間の準備具合を再確認する事にしました。万事抜かりは無いかしら?、何しろ地球上に降りて来たのはこれが初めて、彼女は机上の知識だけでこれ迄を準備したのです。何か落ち度がありなしないかと心配で居ても立っても居られない状態といってよいのでした。

 「早くミルが来てくれないかしら。」

地球上の事では経験豊富な同僚、ミルに今迄の彼女の準備を確認してもらい、その上で太鼓判を貰いたいシルなのでした。

 「良い湯加減でしたなぁ。」

紫苑さんが言い出せば、「全く、内の姪は何でも抜かりが無いですからなぁ。」と、ドクター・マルこと円萬さんが返しました。『本とに、私に取っても良い湯加減だった。』とマルは内心思います。地球人と自分の間隔が似ているなんてちょっと意外に思うマルでした。いやしかし、これも何かのプログラミングの結果なのかもしれない、そう考え直しながら、彼は如何にも喜々として嬉しそうだったシルの笑顔を思い浮かべました。今度彼女を一緒に、ここへ入浴に誘ってみようかな、そんな事を考えるマルでした。が、そうすると、宇宙船の副長、チルの押しの強い笑顔が彼の瞼に浮かんでくるのでした。

 『ま、いいさ、これで。彼女も喜んでいたし…。』

ここでこの一見気のよさそうな野蛮な星人と、共に湯浴みするのも何かの縁なんだろう。彼はそう思うと、弟のエンや姪達の顔が次々に彼の瞼に浮かんできました。そうして次には姪の顔に面影の重なる彼女達の母親、ウーの顔が浮かんで来て、その顔がにっこりと笑うとマルは身震いしました。

「おや、これはいけない。」

紫苑さんが言いました。円萬さんは確か、お風邪を召しておいでのようでしたね。そう言ってから、彼は徐に頭に畳んで載せていた白い手拭いを手に取り、それを開いて彼の口と鼻を覆うと、

「私はこれで、十分に温まらせていただきました。では、御先に上がらせていただきます。」

目だけにっと笑うと、彼は上がり湯をして脱衣室の扉の向こうへと姿を消すのでした。

 そんな紫苑さんの仕草に、マルはふと太古の感染予防か何かか、そんな知識を学んだことが合ったような気がするなと、おいおい、人をそんな黴菌みたいにと、妙にむくれてみたりするのでした。

『まっ、洒脱な人なんだよな、彼も。』

そう思うマルは、やはり紫苑さんという地球人を気に入ってはいるのでした。