174 回→ http://www.ustream.tv/recorded/66996097
今回のゲストの上利夫さんが先月鹿児島の民生委員として東北に行かれた話を視聴したあと、河北新報の縮刷版「3・11東日本大震災 1ヶ月の記録」を広げて見ました。
南三陸町の防災庁舎から避難を呼び掛け続けた若い女性職員のことに触れて話されていたのです。河北新報の4月11日までにはありません。関係するのは16日の紙面に「最後まで避難呼び掛け 職員二十数名いまだ不明」とあり、副町長の「年寄りは生き残り、若い職員が流されてしまった」と悔しさを記しています。
上さんは自ら公務員であった立場から、職務を全うすることを何よりも強調されながら、自らの使命役割の重要性を示していたのだと思います。改めて思うのですが、もしあの大震災のなかでその女性職員はじめかなりの若い職員が命を維持していたら、その後の期間にどれほど多くの住民の暮らしと命を支える大きな力になったでしょうか。人々の生活と復興のためにまさに体を張っていたにちがいないと思うのです。
上さんは当時の南三陸町ではマニアルが整備されていなかったと言い、それを教訓とする必要を話されています。南三陸町の話をある種の美談、感動的な話としてだけで終わらせてしまいがちですが、それで終らせてはならないでしょう。
上さんは桜島の大正期に次ぐ大噴火の可能性に触れながら、東北の経験からも日常の訓練が非常の際の命の分かれ目になること、該当する地域に限らず鹿児島市または鹿児島県ぐるみの訓練体制が必要だと言われていました。
上さんのこういう見方考え方を聞くと公務員に対する信頼感が強まります。伺えば33歳から25年間甑島で福祉関係を担当されてこられたと。椋鳩十さんが離島物語シリーズに関して「離島は政治のひずみがくる」と言われ「このことは物を書く人間として黙っていられない」の言葉を思い出します。その離島で家族とともに生活と仕事を住民と一緒にしてきたのです。「政治のひずみ」に対して住民の福祉の増進のための25年間だったと思います。
定年後伊敷団地にもどって民生委員をつとめられる姿勢に、公務員にはこうあって欲しいという気持ちを強くしました。