ことわざとしては「苦あれば楽あり」なんですが、ここはタイトルのように、もっと分かりやすく言えば「句あれば楽しみあり」ということです。
ゴミのように重ねた書類の山を整理していますと、遺跡を掘るように過ぎた日々が出てきます。1998年から2002年くらいの間の「ぎんなん句会」という集りに出ていた頃のものがわんさかと、それに紛れてその少し前に通っていたカルチャーセンターでの「俳句入門講座」の記録が。
インターネット句会との出会いはそれ以前だったのか、壊れたPCの中に閉じ込められているのでわからなくなっています。こうして見ると俳句を通じて人と交流しはじめたのがこの頃でした。もっとも少年といっていい頃、自分だけで詠んでは日記などに書いていたことはあります。一度当時の受験雑誌の俳句欄に投稿して「その他大勢」の中に入ったことがありました。その時の入選作との差が余りにも大きすぎて落胆し、投稿はやめました。
やはり俳句は「座の文学」と言われるように句会に顔を出し、詠み手と読み手の立場を楽しむことが大きな役割を持っているのでしょう。
挟み込まれた中に「椿」を詠んだ句が幾つかありました、忘れていたものですが記録しておきましょう。
句の内容からみて鎌倉に行って詠んだようです。
苔の段窪みくぼみの落椿 ( これは杉本寺でしょう )
殺生の都や椿と寺をみる
椿道稼ぐ肩が降りていく
あの世とは椿の精と通ふ道
この世とは椿に触れつ通ふ道