夜8時、9時とNHKテレビを観ました。
大河ドラマ「真田丸」とNHKスペシャル「新・映像の世界 冷戦 ・極秘映像は語る」です。
「真田丸」は「船出」「決断」ときて今夜の「策略」で来週は「挑戦」。
このタイトルから、戦国時代という一時代に乗り出した「真田一族」という船団がどのようにして荒波を乗りきっていくか、頭首の決断がありそれを実行するうえでの策略ーそれが今夜の見どころでー、そのうえに立っての挑戦です。
真田の山も案内されましたが、上田市と出ていました。最近までここは長野県小県郡真田町というひとつの自治体でした。2006年3月に上田市と合併したそうです。真田昌幸の「決断」の様を見つ「策略」を通じて、一族の長としてその衰勢をかける姿が印象に残るとともに、自立した一集団の「長(おさ)」の有り様に思いがいきます。
小県郡真田町が合併という時、その当時の町民と「長」等にどういう戦略があったのか、それに基く「決断」だったのか。「真田丸」のもうひとつの舞台の和歌山県の九度山町を見ましたら和歌山県伊都郡九度山町とあります。今回の大河ドラマによってこの町(人口4千強)が注目を集めるでしょう。
信濃の一地方の国衆(独立領主)にすぎなかった真田家が戦国大名になり上がっていく物語ですが、当時の「一族」の盛衰は基本的には領地の大小だったでしょう。それは支配地の石高に表されます。
上田城築城ー天正12年(1584年)、真田昌幸は上州沼田領も合わせ六万五千石、大阪夏の陣の後ーー弟・信繁の死のあとーー、二代目の真田信之は沼田領も合わせ九万五千石でそののち松代へ移されますが十万石となります。
歴史の結果でみての思いですが、昌幸の「戦略」と信之と信繁の歴史上の役割分担がそこまで繋がっているのかと思うこともでき興味が湧きます。