kaeruのつぶやき

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未来は老人のものでもある。

2016-01-09 23:03:08 | kaeruの『資本論』
20年ほど前までの仕事先であり活動の場でもあった職場の退職者の会から新年会の案内とあわせて会報が送られてきました。
そこに「資本論」を学習された仲間の一人が学習内容を綴っていました。
それに刺激されて、その仲間に送った手紙の一部です。

「民悠会」誌上で「資本論」についての一文を拝読しました。実は私も最近この本(不破さんの “マルクス『資本論』発掘• 追跡 • 探究 ” = 以下「この本」)を読みだしたところでした。

貴方の書かれた事に直接触れるというより、私の感想程度を書くということにします。といいますのは貴方は既に「資本論」全体を通読されておられるようですが、私は未だ第1部の3分の2位にとどまっていますので理解の程度が浅すぎると思うからです。
とはいえ「この本」を通じて「資本論」全体の概要や現代を生き変革を求めている者にとってこれを学ぶことの大切さは大まかですが理解できるつもりです。
そういう意味では「この本」で不破さんが2004年の日本共産党大会での新綱領に関し「21世紀の変動する情勢の展開に耐える綱領をつくりたい」と言い「そのなかでも、いちばん大きな意味をもったのは未来社会論でした」と語っているのは大変大事なことと受けとめました。
それは日本社会の変革を展望し「いまの世界でこの道を自信をもってすすむうえでも、未来社会の理想というものがどういうものか、これを明確にすることが、たいへん大事だ」というのです。
    
振り返ってみますと新綱領を手にした頃私の関心は主に日本国憲法に関する部分に、特に「天皇制と自衛隊の問題」を納得しながら学んだものでした。しかし、この当面の課題に正確に向きあうためにも、いや正確に向き合うためにこそ未来社会論の正確な理解が必要だったのです。
「戦争法」の闘いを通じて「国民連合政府」が現実の課題になっている今日、未来社会への確信を持つことと日常活動に自信を持つことがまさに統一されていると感じられます。そういう時代を生きているということは誠に有り難いことです。

「未来は青年のものだ!」とは50余年前の私達のスローガンでした。
このスローガンは青年が独占するものでしょうか。全世代を通じてのものといっていいでしょう。なぜなら人間だけが未来社会を描くのですから、そして社会は全世代に寄って構成されています。そして未来社会を描くためには科学性をもったものでなければなりません。今日の時代に「資本論」を読む意味もそこにあると思います。
 
   貴方の一文に刺激され走り書きをしました、あとは新年会で飲みながらということしましょう。