「先進資本主義国の労働者と市民(これはいま一体となっている)は世界を変える力である。」と昨日は聴濤さんの言葉を紹介し、その現代の「市民」はどういう特徴を持っているかを今日は紹介します。
そこに入る前に聴濤さんがこう書かれていることを記しておきます。
【 マルクス、エンゲルスは国際情勢をみる場合、それを打開するために何をしなければならないかも明らかにしていたことである。】
国際情勢論が解釈解説で終わってはいない、運動方向を示したものであった、ということです。これは今日に引きつけていえば「市民・市民運動」の発展を視野においていることでしょう。
それではその「市民」とは、
【 この運動に参加する「市民」はいま普通には誰からもいかなる組織からも押し付けられたり動員されたりするのではなく(それを一番嫌う)、ネットで情報を集め、集めた情報をみずから精査し「主催者の一人」として自分自身で考え行動する人として理解される。しかもその人々が現実に社会を動かす力を発揮する。素晴らしいことである。彼らは「自由、民主主義、基本的人権」を普遍的価値としている。なぜこうした人々が形成されるのであろうか。いくつかの要因があると思う。
① 憲法精神と民主主義の定着による人間意識の変化。自己判断能力と自己表現能力が発展したこと。ここではエリート意識は通用しないようになる。
② イデオロギーを価値基準にしない。したがって要求は人間的かつ現実的である。ここでいうイデオロギーというのは「社会主義対資本主義」といった場合のようなイデオロギー対立のことである。
③ しかし現代資本主義経済がもたらす未曾有の格差拡大・労働の強化が何かをしなければならないという意識をつくりだしている。
もちろんこのことは政党の役割の低下を意味しない。今回の戦争法反対闘争でも共産党はいうまでもなく他の反対する諸政党の国会での活動が、運動を促進したことはいうまでもない。要は政党が階級・階層の「諸集団」の利益を代表するだけでなく、市民感覚をもった集団でなければならないということである。
それと同時に「市民」という場合、政治関連に限定するのではなく、日本でいまNPO、各種協同組合、社会的企業などの市民運動が広範に発展していることを重視しなければならない。高齢社会に不可欠な医療・介護・福祉を直結させたネットを地域に張っていくという貴重な仕事をこれらの市民運動はおこなっている。これをすべて行政の下請けとみることは現場を知らないためである。社会を身近なところから変えていく重要な運動である。マルクスが協同組合を重視したことは知られているところであるが、医療・介護分野までにもそれが発展していることは知る由もないところであった。
総じてマルクスがこうした市民・市民運動をいまみたとすれば何というであろうかこれはわれわれ自身が考えるべき問題である。先進資本主義国の労働者と市民(これはいま一体となっている)は世界を変える力である。このことはいまの世界をみる基本的視角の一つになるであろう。筆者が本書で最後にいいたいのはこのことである。】
かなりだぶって引用しました、そこは筆者と引用者がいいたいことでした、あしからず。