kaeruのつぶやき

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ペンとしての俳句。

2016-08-31 22:08:29 | kaeruの五七五

  今日は暦の上では二百十日です。子供の頃、秋と台風と千曲川が結びついて濁流が土手を打つ有り様がいまでも思い起こします、床下浸水は何回も床上浸水も経験しました。

   明日は9月1日「防災の日」です、こちらは風水害ではなく関東大震災にちなんだものですが、暴風台風によるにしても大地震による被害にしても殆ど毎年受ける災害列島日本です。

  こういう風土の日本で俳句という詩が根づいているのは「ペンは剣よりも強し」を借りていえば「ペンは天よりも強し」ということでしょうか。

   ペンは剣よりも強いであろう、強くあるべきだということでしょう。ペンも剣も人間が作り出したものであれば人間が知恵と力によって解決できるのだ、それはペンが剣を抑え込むことができるという信念です。しかし、人間は天=自然界の進化としてつくり出されたものでありまして、決して人間が天をつくったのではありません。

   ならば、ペンを以って天を抑え込むことはできません。すると「ペンは天より強し」は返上しなければなりません。返上したあと何と言うべきでしょう、天の前に頭を下げてしまうわけにはいきません。

   天災による悲惨さを永久に味わう道理はないからですし、現実に何世代にわたって天災による災害を乗り越えてきたのも天災列島日本の住民としての日本人でした。

  そうであるならば、「ペンは天とともに強し」または「ペンは天に拠って強し」と言うべきでしょう。天地の異常なる力はその中で生きてきた人々に生きる力も示してきたのです。

  台風の海を見ていて得し力          伊藤玉枝

  台風や会う眼どれにも妥協なく    岡田銀渓

  台風過今朝忽然と山河あり          新井三七二

                     『ザ・俳句十万人歳時記  秋』より