何時ものようにgooからあなたの一年前の「つぶやき」です、が届きました。
この最後に、
人生の最期の時期に己が土になるべき地域へのこだわりをどう深めるか。乳離れとか親離れとか肉体的精神的自立の各段階が呼ばれるように過ぎた日の故郷から終焉の地としての故郷へ移る故郷離れの作業すすめる時期になったようです。来年の「つぶやき」にどう書かれるのか、これからの一年の課題です。
と書かれていますので、どう書いたものかと思案しました。
故郷ということでは兄の死を通じて「終焉の地」としての故郷ということを考えます。東京生まれの兄が母親の実家のある上田に戦争で疎開してきたのが14歳です。それから71年間外へ出ることはなく上田の土になりました。
兄の葬儀の喪主は長男が務めましたが、深く感じたのは小池家(私達の実家)が父母の代を含め三代続いたうえでこの地・上田に根をおろしたということです。市内から離れ兄嫁の縁で現在の住居を決め、その縁で寺も決め東京にあった墓を移してもきました。「骨を埋める」と言いますが、墓所を何処にするか決めるということが文字通り骨を埋める地、だということです。
さて我が身を埋める地は決まっているのですが、問題はその地で「終焉の地」らしい暮らしをしているのか、です。その辺が「これからの一年の課題」だったのでしょうが、こうつぶやいてくると、何やら先送りのようです。
また来年「どう書かれるのか」、齢80歳を過ぎていますのでもうその先に送る余裕はないでしょう。