やはり『資本論』は寝転びながら読んでは分かりません、ならば机に向かい厚い『資本論』を拡げ、上半身裸になり扇風機の風を受けながら読めばわかるのかと言えば勿論分からないのです。
こうなるとなぜ分からぬモノを読んでいるのか、ということになるのですがそれは分かります。なぜなら明後日報告しなければならないからです。報告しなければならなのは、二つの章第3巻の第20章と21章。第4篇と第5篇にまたがっています。第4篇は「商人資本」というのですが正式には「商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への(商人資本への)転化」といいます。
更に第5篇は「利子生み資本」ですがこちらも正式には「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」といいます。この篇の名前だけで「どうだ!参ったか」という感じですが、参った、とはとても言えない義理があるのです。
実は前回の勉強会の日程をその日の朝、急きょ予定替えをしてもらい他の3人に迷惑をかけたのでした。そんなこともあって本当は明後日は私の番ではなかったのですが、一つ手前の担当者から代わってくれと頼まれ気安く受けていました。
となると、やるしかないのです。いつものように不破さんの《『資本論』全三部を読む》の該当部分を頼りに自分の『資本論』に書き込み、ノートに引き写しをしてます。私の『資本論』本は自分の報告担当部分がよく分かります、そこの部分だけ書き込みがあるから。4人でやっているので要は4分の1だけは確実に目を通している、更に不破さん本を頼りに報告文も書いている、と言えるのです。
そして、この1日から「しんぶん赤旗」で始った不破さんの《『資本論』刊行150年に寄せて》、これは本当に有り難い。全14回で今日が7回目、今日の終部分の「21世紀、世界は変貌しつつある」で「今年開催された核兵器禁止条約策定のための国連会議は、まさにそこに世界の本流があることの力強い実証となりました。」と記されていました。
『資本論』の第20章「商人資本にかんする歴史的スッケチ」には、「十六世紀および十七世紀には、地理上の諸発見にともなって商業に生じた、商人資本の発展を急速に高めた大きな諸革命が、封建的生産様式の資本主義的生産様式への移行を促進する主要な一契機をなす」という一文があります。
16世紀にヨーロッパは資本主義的発展の道、日本は封建制の完成へと進んだと不破さんは指摘し、「世界的には資本主義への移行の画期としての意義をもつと同時に、ヨーロッパと日本の歴史の交差点としても、興味深い一時代として浮かびあがってきます」と言われます。
国連会議での日本共産党志位委員長の発言にも象徴される21世紀の世界の変貌のなかで日本では来年「明治維新150年」を迎えます。変貌しつつある世界のなかで日本を積極的な方向に転換させるためには、マルクスの視点を『資本論』を通じて学ばねばならないでしょう。義理ではなく自らに課す義務学習といえます。