今日のブログに去年の今日が送られてきました。そこに一昨年の今日が紹介されています。
「これからの一年」とは2015年のことで、「どう書かれるか」の来年が2016年の8月13日なのです。
さらにその来年、すなわち今年の8月13日、何をどう書くか自問自答です。
その前に、2014年はどうだった? となりまして、
前日の12日に上田から戻って来ていたのでしょう、迎え火です。
2013年は、ガラリと雰囲気が変わっています。
ここまで来るとその前は?
これは今年の今日の再現、というより今年が5年前の再現でした。
こうしてみると、ブログを通じて繰り返しの部分とその都度違う部分が雑居していることを感じます。特に去年の「来年は80歳を越している」のだから的な「つぶやき」を受けて考えると、時代というものがやはり明確な方向性を持っているということを感じます。今年はフェイスブックをブログと並行させたことが、一層その感じを強めました。
飛躍しますが、87歳の不破さんが『資本論』刊行150年を期に書かれていることに触れます。14回連載の最後が明日ですが今日の「革命家マルクスの決断 上」を受けてその「下」で終わります。なぜ最後の2回分が「マルクスの決断」なのか? 今日の回に
【 マルクスが、『資本論』の仕事と運動上の任務と、どちらを選ぶか、その選択を迫まられた時期が2回ありました。】
今日はそのうちの1回。
明日は多分、友人であった医師のクーゲルマンとの「仲たがい」のことでしょう。不破さんの言う「『資本論』の大業にとりくむ革命家マルクスの姿勢」を知り、「『資本論』の読み方・学び方」をマルクス自身から学ぶことにつながると思います。
それが80歳代の一日一日の意義を教えてくれるのです。