葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

神仏の八月、やがて神仏を支える人。

2017-08-16 17:28:31 | 葉山そして人

この八月はやはり8月ではなく八月と記したい、神も仏もこの八月に身近になるからです。今日は盆の16日でお寺で盂蘭盆会、夫婦で出かけてきました。何時も定刻間近で椅子に座れなくなるので少し早めに、ところが始まる時刻になっても、

去年まではこの畳の部分は座布団に座る人でいっぱい、それがこの通りでした。雨の影響があったでしょうが、やはり人の寄りそのものが少なくなっているのです。7月の末に墓地を檀家が寄って清掃をしたのですが、三年ぶりに参加して参加者の少なくなっているのに気付きました。ただ清掃の方は草刈機など機器が使われ作業としては滞りなく……でしたが。

今日も法要のあと墓参りに行ったのですが、まず墓参りの人数が少なく、卒塔婆を立てる人が少なくなっているように見えます。花だけが新しくなっているが古い卒塔婆がそのまま、あるいは花はあっても卒塔婆は無い、そんな墓も目につきます。

お寺のあり様が様々に問われているのは全国的でしょう、もちろん墓のありようを含めてです。

お寺が問題を抱えていれば神様だって問題無し、とは言えないです。ただお寺さんに町内会が組織的に関わるということは、少なくても知っている範囲では聞きません。神社の場合は町内会との関わりが大きいのです。私も先ほどお祭りへの寄付を頼みながら回って来たところです、これは氏子会の世話人というより町内会の組長としての役割でした。

寄付は任意ですから、町内会として回っても2割位の人が寄付しません。また担当地域の約2割の世帯が町内会に未加入です、この町内会全体でも未加入世帯が約2割で、増えていく傾向です。神社が町内会頼りだけでは運営に厳しさが増すことでしょう。

先ほど回った家はこの間に二回伺い、その都度出てきた男の子から留守です、を聞いていたので今夜は父親から寄付をもらいながら子供神輿の話をしました。お寺はさて置いて、子供神輿などを通じて祭に、祭を通じて神社に思い出を繋げてくれれば、それは親を繋げることになり神社が親子の思い出となるでしょう。

コメント (4)
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