kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

将棋ブームにひかれて……

2017-08-22 19:01:45 | 時代の現場

メールにこの場面が届きました、将棋の対局中継でした。以前でしたら3秒も目を止めていなかったでしょう、それが対局が終わるまで。

勝負がついたのが16時47分で、始めの画面に15時47分とありますからキッチリ1時間の生れてはじめての観戦でした。猫も杓子も将棋とやらのなかでkaeruも仲間入りのようです。

「しんぶん赤旗」にもこんな大きく、

日曜日版でも、

 

藤井四段の強さにも目が向きますが、面白いと思ったのは「コンピュータが全盛のなかで、藤井君の出現で、人間同士の対局がいかに面白く、ドラマを生むかを示してくれた、その点でも藤井君の貢献は大きい」という石田九段の言葉です。


「九条守れ」の原告の「意見陳述書」。

2017-08-22 14:45:38 | kaeruの五七五


【  平成27年9月25日

                                 意見陳述書

 さいたま地方裁判所第6民事部合議係 御中

 原告

 

梅雨空に「九条守れ」の女性デモ

 この句の何がいけないのか。
 三橋公民館が、この句を拒否しました。
 私はこの句の作者で、74才の主婦です。三橋公民館の俳句サークル三橋俳句会に、平成16年に入会して以来の会員です。
 俳句をはじめてから、興味、関心が広がり、物事をしっかり見るようになってきました。月一回の句会は、多くの事を学べる楽しい場となっています。
 昨年6月初旬、銀座で集団的自衛権行使容認に反対する女性だけのデモに出会いました。雨の中、若い人から老人まで、子どもをおんぶしたり、ベビーカーを押している若い母親たちもいて、みんな「平和を守れ」「九条守れ」と声をあげながら行進している姿に自分の思いが重なりとても感動しました。
 その時詠んだものが先の俳句です。
 その6月下旬、三橋俳句会がありましたので、この句を出しました。
 4年くらい前から、公民館の申出で、毎月発行される「公民館だより」に三橋俳句会で選んだ俳句がそのまま掲載されてきました。6月の句会では、先生の特選をいただき会員の選も多かった先の私の句が掲載句に選ばれました。とても嬉しく思っていました。
 ところが、公民館は、「集団的自衛権の問題で世論が二分されており、一方の意見だけを載せることはできない。また、『九条守れ』のフレーズが公民館の意見と誤解されるおそれがある。」とこの俳句の掲載を拒否してきたのです。幼い頃、戦争体験をしている私は、この70年、九条に守られて平和に暮らせてきたことをありがたく思っています。
 身近な公民館でふつうの市民が作った俳句に、それも「九条守れ」のフレーズが問題にされるとは驚きでした。まして、憲法遵守義務のある立場の公民館から、この様な理不尽なことをされるとは思いもよらないことでした。「公民館だより」に掲載する作品を決めるのは、私たち三橋俳句会です。公民館が俳句の内容に立ち入る権限はないはずで、許されることではないと思います。どう考えても納得できません。
 この一年、市民や団体の方々などと共に公民館や市教育委員会へ何度も抗議し、掲載を求めて足を運んで参りましたが、いまだに掲載を認めようとはしません。
 このままでは、うやむやにされて、また同じことが起きかねません。どうしたらよいか相談を重ねた結果、作者が原告になり提訴することができることを知りました。知識もなく、年齢のことやいろいろ不安で、決めかねていましたが、民主主義や表現の自由が踏みにじられようとしている昨今の状況を見ていると、市教育委員会や公民館が重なって見えてきました。
 やはり、理不尽なことに黙っていていいのか。自分の立場でしかできないことがあるならやるべきではないのかとの思いが強くなり、逡巡はありましたが、志は曲げたくないし、後悔もしたくないと思い提訴を決めました。勿論、はじめから同じ思いで一緒に行動してきた句友、そして我が事として取り組んでくださっている方々の心強い大きな支えがあってこそです。
 この問題が全国的に大きな関心を集めたのは、私たちの小さな声をひろいあげてくださった新聞、マスコミの力です。
 また、著名な俳人、作家、研究者の方々がそれぞれの立場から見解を表明され関わってくださったことです。こういう中でこの一年、いろいろな事をたくさん学ばせていただき、確信が深まって参りました。
 自由に物が言える。自由に表現できる。あたりまえのことが当り前にできるように。
民主主義を後退させないように。裁判をお願い申し上げます。

 以上  】 


「俳句の日」でした、二題。

2017-08-22 14:27:29 | kaeruの五七五

古老を高齢者をつかって言表すとすれば、超高齢者というのか、

馬鹿な言い換えだと思うでしょう。

例えば、

俳人・金子兜太 1919年9月23日生れ、再来年で100歳だから超のつく高齢者には違いないが、「古老・金子兜太」だから俳人金子兜太になるのであって「超高齢者・金子兜太」と試しに書いてみてその違いがはっきりします。

17日の「kaeruのつぶやき」で、

【 105歳で亡くなった日野原先生は「老」という漢字を「頭髪の長い背中の曲がった人が杖をついている姿をかたちどったもので、徳の高い人の敬称」と紹介してます。】 と。

己の老いに誇りを持つ、それは己の人生をより成長させ終わりよければすべて良し、と画龍に点睛の一点を入れる気持ちに通ずのです。


19日は「俳句の日」でした、以前の「つぶやき」、

俳句に関して、こういう裁判が行われています。

梅雨空に「九条守れ」の女性デモ

この裁判がどういう経過でことを争っているか、こちらで

http://9jo-haiku.com/modules/history/content0001.html

なお、金子兜太さんのコメントを紹介したものもありました、

全文はこちらで、  http://www.systemken.org/pdf/a95.pdf