以前、鹿児島・ 薩摩藩と鎌倉を結ぶ縁があることを知ったり、真田幸村のものといわれる墓が鹿児島の地にあったりして、かなり遠方の地も長い歴史のなかで様々な繋がりがあるのが面白いと思ったものです。
史実はもちろん言い伝えも含めて人々の願い思いがどこにあるかを知ることも歴史の一面でしょう。今度は鹿児島の大隅半島最南端の佐多岬です。逗子の「六代御前」のことを調べてる方が『佐多岬』という本を紹介されました。野田千尋さんという鹿児島の郷土史家の書かれたもので、六代御前・平高清に関することではこのようなことが書かれているそうです、
一般に平氏の血筋は高清の処刑によって絶えた、ということになっているますがそれは違う、禰寝(ねじめ)家として大隅地方で根を張っていたということです。
逗子市の重要文化財としては、
佐多岬とは、赤い風船の所です、
本土の最南端だそうです、