二つの鳥居が並んで建ってるのを並立鳥居という、今日の「てんがらもんラジオ」ではじめて得た知識です。それをガイドしてくれたのが向井明美さんです。その話の発端は、向井さんの親心の披露からで、娘さんが中学三年生、受験生を持った母親の切なる願いを託してのお正月の神社参りの報告から始まりました。
神社に願いを託す姿は、我が町の森山神社への初詣参拝者、特にご婦人の姿に重なります。向井さんの願いも必ず叶い、春には神社へのお礼参りの報告が聞けることと思います。
さて、並立鳥居の話ですが、例外的な話かと思ったのですが、そうでもないようです。信州の諏訪神社に関係する神社では諏訪神社が上社と下社とあるのに対応して、一つの社(やしろ)に二つの社の役割を果たしてもらおうと、入り口を二つにしたというわけです。誠に理に適った方法です。
ネットでみると、
まだまだありそうで、向井さんの話ですと6社ほどだとのこと。
こうして鳥居を見ていると、「なぜ鳥居・とりい」と言うのだろうという疑問が……、鳥居は俗世界と神域の境に立って二つの世界を分けるものですが、それがなぜ「鳥が居る」のか、分かります?
こういう時手掛かりになるのが白川静先生の漢字の辞典です。この鳥は一般的な鳥類を意味するのではなく、鶏を意味するようです。鶏は「時を知る畜なり」として神鳥として扱われていて、古代において祭に使う器には鶏の血を塗った、とあります。
また我が町の森山神社に話を戻しますが、昔は神社の裏山の頂にあったとのこと、そこから冬の晴れた日にアルプスの銀嶺が見えた、と聞いたことがあります。その時、あるいはこの神社を祀った古代の人の祖先は遠く諏訪地方からやって来たのではないか、と思ったのでした。
鳥居の「鳥」にも並立鳥居の由来にも、地域の氏神の有り様にも私たちにつながる長い時間の精神を感じます。明治維新150年の長さの数倍10倍、それ以上もかけて形作られて来ている精神文化の奥深さに触れていきたいものです。
向井さんの旅の話と共に、第4週に組まれた「地域の歴史」に期待を寄せるものです。