この写真は『乱』で紹介されているブリュネが徳川慶喜をスケッチしたものです。
これに関しては、
【 白地の着物に黒い羽織を着、厚手の生地に三葉葵の紋らしい模様を織り出した平袴を穿いた、いわば平服・立ち姿の慶喜を真正面から描いたものである。
面白いのは、畳の上を草履ばきで歩いていることであり、背後に二人の近習らしい侍が随い、向かって右の侍は左手に将軍の佩刀を捧げている。そしてこの二人も草履ばきであるが、さらにそのうしろには何人かの侍が畳の上に手をついて平伏しているのである。
サインは間違いなくブリュネであろうが、〜〈一八六五年五月一日〉という日付しか読みとれないのは残念である。
しかし、一八六五年五月一日は慶応三年三月二十七日であるから、この慶喜像はフランス公使一行に内謁見を賜わった当日のスケッチであることが知られる。おそらく白書院に現れたときの慶喜を、ブリュネがその場で描いたものであろう。慶喜たちが畳の上で草履を穿いているのは。ロッシュたちが大礼服に靴のままで謁見室に案内されたからと思われる。】
さらに続けて、
【 このデッサンの上部左右に、人間の顔が二つ描かれている。一つは顔の左側、もう一つは右側であるが、あるいはこれは慶喜の横顔をスケッチしたものかもしれない。慶喜が平服を着ているのは、これが内謁見だったからであろう。
これが日本人絵師ならそう簡単には描けそうもない将軍の似姿をブリュネに許したのも、外国使臣にたいする好意の現れとみてよいであろうか。とにかく、将軍慶喜をじかにスケッチした絵として、これは貴重なものである。】
と記しています。
この2年後の慶喜の写真がこれです、
この写真が誰の手によって写されたものか、紹介しているWikipedia には説明がありません。