写真のこの人は河津伊豆守祐邦(すけくに)、池田筑後守の使節団副使を務めた人。写真を撮ったのは元治元年四月十四日(1864年5月19日)、場所はパリの写真館です。
河津祐邦については、河津祐邦/ja.m.wikipedia.
当写真について『乱』にこうあります。
【 四月十四日の午後、パリ郊外のフォンテンブロー練兵場でナポレオン三世の観兵式が行われ、それに招待された日本使節団の一行は、フランス陸軍二万人の威容に圧倒されたが、そのときナポレオン三世の要望に答えて、河津伊豆守が日本から持参した甲冑を身に着け、日本武士の戦場における姿をしてアラビア馬に打ち跨がり、兜を猪首に掛けて威風堂々とこれを乗り廻してみせたので、皇帝も皇后ウージェニーも皇太子も、いたく満足のていであった。そこで観兵式のあとで写真館に行き、そのときの装いをそのままに撮らせたのがこの写真だという。】
昨日「テレガラフの不思議さ」と呟いたのですが、不思議といえばこうして150年以上前の生身の江戸時代の武士姿を写真で「自由」ーWikipedia によりますがーに見ることができる、これは現代の「不思議」でしょう。
情報技術の発展とあいまって、伝達機構の進歩発展が生み出した現象なのでしょうが、それにしても不思議なのはその発展を生み出した社会の在り方の立ち遅れです。
池田筑後守一行がパリで日本国の立ち遅れを実感したように、21世紀の私たちは日本だけでなく世界全体が立ち遅れている‼️と感じつつあるのです、私はそう感じています。