kaeruのつぶやき

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ブリュネ砲兵中尉等、仏軍事顧問団来日。

2018-01-14 19:42:12 | 『乱』と「西郷どん」

   ブリュネがメキシコ戦線から帰国したのは1864年10月でした。

『乱』に曰く、

【帰国と同時にレジオンドヌール騎士章受勲者(勳五等)に叙せられ、予備軍に編入された。この段階ではまだ、自分がやがて軍事顧問団の一員として日本へ派遣されることなど、夢にも考えてはいなかったのはいうまでもない。】

   その時点で、彼は26歳と9ヶ月。

   そのブリュネがシャノワンヌ大尉を指揮官とするフランス軍事顧問団の一員として横浜に着いたのは、1867年1月13日(慶応二年十二月八日) 、総勢15名でした。

   『乱』の「第十章  軍事顧問団来日」にはこう書かれています。

フランスの絵入り雑誌「ル・モンド・イリュストレ」1867年2月12日号(和暦・慶応三年一月八日)に、十五名のフランス軍人を描いたペン画の挿絵が掲載されている。

   この絵は、それに付されているフランス語の説明文によると、当時のフランス近衛砲兵隊倶楽部にあった写真に拠って描かれたもので……】

 

こう書かれていると、その絵なり写真を見たくなります。

これは「「ル・モンド・イリュストレ」1867年2月12日号」で検索したものです。残念ながらこの中には15名の軍人たちの姿はありません。67,000円出せばご披露出来るのでしょうが……。


   パリ第2回万国博覧会が紹介されていますが、Wikipedia に面白いことが書かれていましたのでブリュネと離れますが、

「日本国」とは別に「日本薩摩琉球国太守政府」として幕府とは別に展示したことに、薩摩藩の意気込みを知ることが出来ます。