池田筑後守一行の中には旅の途中で死亡した者がいました。横山という会計係、カイロで発熱し、マルセーユのホテルで治療を受けることになりました。
一行は彼を残してパリへ、その行く先々の一行の元にマルセーユにいる横山の病状が届きます。21日には訃報が届いたのですが、それが電信機(テレガラフ)という物によって送られて来ると知ったのでした。
【 横山の病状については、毎日、(マルセーユに残った)山内六三郎からパリの使節団に電信機で報告され、病気悪化、危篤、そして、幾分持ち直した、といった電報が送り続けられたが、ついに二十一日に訃報を打電しなければならなかった。
ちなみに、随員の杉浦愛蔵が明治になって郵便制度を創設したのは、このときの電報を毎日受け取って、その利便さを痛感したからだといわれる。これもそれまでの攘夷派を西欧近代化に開眼させた、ひとつのカルチャー・ショックだったわけで……】
と『乱』に書かれています。さらに、
【 マルセーユからパリのホテルへ横山敬一の容体を刻々に知らせてくれる〈テレガラフ〉の不思議さ。汽車に乗って新たな駅についたとき、使節団の一行三十数名分の弁当がちゃんと準備されている不思議さも、テレガラフの存在を知るまでは、どうしても理解できなかった。】
さてこれは、1854年来日したペリーが米国大統領フィルモアから徳川幕府に献上された模型の蒸気機関車と電信機です。