このタイトルは、先日行われたミニ講演会のもので私が欠席したのでレジメだけでも欲しいと送ってもらったレジメの題です。
卑弥呼と言えば、と書き出せば「邪馬台国はどこにあった?」と連想ゲーム的に出てくるのですが、まずはこれでしょう。
「魏志倭人伝」、この文字情報を手掛かりに、考古資料に裏付けられながら「邪馬台国はどこにあった?」の “国民的関心” が寄せられてきました。「どこに?」の問題に関してレジメを送ってくれたYさんに次のようなメールを送信しました。
「10日のレジメありがとうございました。
以前、卑弥呼に関連して邪馬台国が日本のどこにあったか?
大きく分けると北九州説と畿内説になるのですが、これは日本列島にいつ頃どこに統一国家が形成されたのか、という事に繋がっている問題だという指摘を読んだことが頭にあって、単なる場所問題ではない日本史のなかの最重要問題に入るだろう、と考えていました。
その意味で今回卑弥呼を取り上げてもらって、あらためて考える機会になったと思います。それに次回が「古道」だということです、これはヤマトタケル伝説につながる大和政権の東征に関連している問題でしょう。
それと併せて長柄桜山古墳の時代的地域的位置付けも、かなり関心を引きます。その意味で先日のAさんと会長にお供しながら「古道散策」ができなかったのは残念でした。次回には是非参加せねばと思っています。」
このメール内容の一部ですが、大和政権という形で関東から九州の大部分を支配する統一国家が形成された時期は? に直接繋がる問題でもあります。それは三浦半島の根っこに造られた長柄桜山古墳の位置する時代背景の中身でもあるはずです。
併せて、いま読みすすめているている『乱(らん)』と「西郷どん」との繋がりも感じています。
海音寺潮五郎の『史伝 西郷隆盛』で、海音寺は、
【一般には、維新運動は尊王思想によっておこったと考えられていた。これがあやまりであることは言うまでもない。(略)
維新運動の本質は国家統一運動であった。維新運動が世界近世史の一環として世界史的意義のあるのは、このためである。】
と書いています。
これを読んだ時、不破哲三さんが野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』について語っていたこの部分を思い出しました。
【 幕末変革論の躍動的な展開】の見出しで、
【 明治維新論も興味深いものです。たとえば「尊王攘夷」というスローガンが革命的スローガンとしてどういう意味をもったか。幕府打倒運動に、「全国民的統一」の色合いを持たせるうえで、「攘夷」はある時期まで決定的な意味をもったなど、躍動的な分析が展開されています。】
卑弥呼から野呂栄太郎それに海音寺潮五郎まで、不破哲三さんも持ち出しての話になってまとまりがつかなくなりました。もう少し言うと、古代日本の成立による古代国家の時代、鎌倉幕府から徳川幕府の封建国家の時代、明治維新はそれを崩壊させて資本主義国家・日本にしました。
さて、こう書いてきますと「これはマルクスやエンゲルスの言う奴隷制、封建制、資本制と社会が発展するという階級史観ではないか」との声を感じます。私もそう思います、そうなると次に来るのは「ポスト資本主義」社会、21世紀の世界はその視界を持つことを求めています。