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新訳 『戦争と平和』 メモ (1)

2023-03-25 23:08:53 | 本のひと言

『戦争と平和』同じ岩波文庫ですが、訳者が違い「新訳」とカバーの折込に書かれていました。字が大きく読みやすい、読み比べて見て「あれ?」となったのがここ、

旧訳で「千八百五年六月」が、新訳では「七月」になっているのです。

「あれ?」と思いつつ読み進めていましたら「ロシアの暦」についての解説がありました、

トルストイは「6月」と書いていたのです、その違う訳が分かりました。

文字写しをしておきます。

ロシアの暦
 モスクワを前にして、ロシア、フランス両軍が激突したボロジノ戦は一八一二年八月二十六日のことです。ところが、トルストイが引用している、 会戦前日のナポレオンの作戦命令書の日付は九月六日です。これは誤植でも、作者の勘違いでもありません。当時、ロシアとフランスは別の暦を使っていたからなのです。
 当時ロシアではユリウス暦(ユリウス・カエサル〔ジュリアス・シーザー〕が制定した古い太陽暦)が使われていました。しかし、このユリウス暦は閏年の置き方が多すぎて、四百年に三日の誤差が出てしまうので、一五八二年にローマ法王グレゴリウス十三世が新しい暦法を制定しました。これはユリウス暦と同じ太陽暦で、四百年に百回だった閏年を九十七回に減らしただけですが、おかげで季節とのずれはほとんどなくなりました。
カトリック教国では十六世紀から、新教国でも十七世紀から、このグレゴリウス暦が使われるようになりました。現在日本で使われているのもこの暦です。
 ところが、ロシア正教会は伝統に固執し、ロシアの国全体もユリウス暦を使いつづけました。グレゴリウス暦を採用したのは、大革命後の一九一八年のことです。それまでのロシアのカレンダーはユリウス暦だったのです。 『戦争と平和』の中の日付も当然、フランス側の文書など以外は、ユリウス暦に従っています。 地球の運行とほとんど誤差のないグレゴリウス暦に比べ、ユリウス暦は十九世紀には十二日遅れ、二十世紀、二十一世紀には十三日遅れですから、一八一二年のロシアの八月二十五日はフランスの九月六日なのです。

 この後に、

 ちなみに、ロシア正教会は今でもユリウス暦を使っていて、すべての行事がその日付で行われます。ロシアに住んだら、クリスマスを十二月二十五日と一月七日に二度やり、新年を一月一日と十四日に祝い、三週間遊びつづけることも不可能ではありません。

と書かれています。ロシア正教のカレンダーについては、

【ロシア正教】ロシア正教のカレンダー 〜まとめ〜 - RussiAnnouncer|いちのへ友里オフィシャルサイト