『プロメテウス』を「歴史的伝記小説」と、著者のガリーナ・セレブリャコワ*が呼んでいるのは、この小説が歴史小説(一般的な史実を背景にした小説)と伝記小説(個人の一生の事績の記録小説)をかねあわせた小説という意味だと、訳者の西本昭治氏が「解説」で述べています。
私の本棚には、
こんな風に16冊が並んでいますが、いま全巻を並べると、
こうなるようです。
なぜ『プロメテウス』と名付けられたか、「プロメテウス」とは何者か。それについては、
プロメテウスとはギリシア神話の英雄の名である。大神ゼウスを欺き火をぬすんで人類に与えたために、怒ったゼウスは彼をカウカソス山上の巨岩に縛りつけ、その肝臓を毎日鷲に食わせた。しかしプロメテウスの肝臓は、食われるあとから新しく再生した。プロメテウスはゼウスの王位の安泰に関する秘密を知っていたのだから、もしゼウスに対する反抗をやめ、ゼウスに服従する気になり、その秘密をゼウスにもらしてやりさえすれば、いつでもこの責苦からのがれることができるはずだった。しかしプロメテウスは、自分の正義を知るがゆえに、また来たるべき解放を知るがゆえに、そうしなかった。
このプロメテウスの形象は、不当な苦痛に堪える不屈さ、あるいは圧制者に対する反抗の象徴として、また人類の先駆者として一身を犠牲にしてまでも人類に奉仕し、幸福をもたらすためにたたかう者の姿としてとらえることができよう。ギリシア三大悲劇詩人の第一人者アイスキュロス(前五二五〜四五六)に『縛られたプロメテウス』という作品がある。この作品は、このプロメテウスの形象を芸術的に定着させた壮大な作品であるが、フリードリヒ・エンゲルスと協力して科学的社会主義=共産主義をきずきあげたカール・マルクスは、この作品に深く傾倒し、本書(第三分冊)にも引用されているとおり、その学位論文 『デモクリストとエピクロスの自然哲学の差異』の序文は、「プロメテウスは哲学の歴史におけるもっとも高貴な聖者であり殉教者である」ということばで結ばれている。マルクスがこのプロメテウスを人類の敵とたたかう化身とみなし、このような人間になろうと努力したことは、若き日の右の論文からみてとれるのであり、また事実マルクスは、プロメテウスになったのである。
『プロメテウス』の表紙には、
この絵はこちらを写したものです、
この絵へのコメント、「リス」は絵の左上の隅に描かれています、
さてレンヘンとタッシーについてです、これも『プロメテウス』の訳註を記しておきます。
レンヘン
へレーネ・デームート(1820〜90)。マルクス家の家政婦。カール・マルクス死後は、エンゲルスの家政婦。愛称レンヘン、ニム、または二ミー。
タッシー
エリナ〔エレアーノル〕・マルクス=エーヴリング(1855〜98)。愛称タッシー。カール・マルクスの末娘。1884年以後エドワード・エーヴリング(1851〜98)の妻。イギリスならびに国際労働運動で活動。(エレアーノルはドイツ語読み、エリナは英語読み。)
昨日はマルクスの最後の姿を記しました、今日はエンゲルスの終焉の時を、
エンゲルスは、自分が一生をささげ尽くした世界の人びとの、未来に思いをめぐらして憩いながら、彼らの強力な闘争と勝利の行進を心にえがいた。革命、自然力のなかでもっとも強力な自然力、思想・意志・闘争の自然力が、 どっさりのものを掃きのけながら、世界を改造しつつあった。 不幸な人びとが幸福になりつつあり、 よろこびが凱旋のらっぱのように鳴りひびいていた。
ときおり苦痛が意識を鈍らせたが、しかしエンゲルスは苦痛に屈せず、抵抗した。 彼の苦しみをやわらげるために医師たちは麻酔剤を用いたが、うとうととまどろみながらもエンゲルスは思考することをやめなかった。ゲーテのことばが思いだされた。
財を失うこと――これはいくらかを失うことだ。
名誉を失うこと――これはおおいに失うことだ。
勇気を失うこと――これはすべてを失うこと
生涯エンゲルスは恐れを知らず、そのような人として自分の最期を迎えた。
一八九五年八月五日、午後十時三十分、 エンゲルスは、枕べにきらめくろうそくの光を最後に見た。時計がうつろに、冷ややかに彼の生涯の最後の瞬間を測った。エンゲルスの目のなかでぱっと火が燃えあがり、その目は永久にとざされた。短いほの白い夜がすぎた。東から、赤紫の、燃えさかり万物を照らす、太陽がのぼった。
一九六五年
この176ページが著者ガリーナ・セレブリャコワが1934年に書きはじめ1965年に書き終えた最終のページです。