昨日は柳誌「つばさ」の未着でかなりLINEでやりとりをしました。
今日昼前に無事到着、
村永さんが巻頭言を書かれたことはLINEで知っていました、
これです,
「百歳を目指したっぷりある未来」 村永チトセ
私が川柳とご縁ができたのは、団地のおばあちゃんで構成したFM銀河 「てんがらもんラジオ」で川柳コーナーを発足させた日です。ゲストの石神紅雀さんに一句詠みなさいと言われ、即興で
「クリスマス誰か私にケーキくれ」
苦し紛れに詠んだこの句、石神師匠が笑い転げて「これでいいのよ」と言いました。17文字で口語が原則、人間を詠む。初心者の私は次々はったりの効いた、前向きで元気の出るような句を詠んでいました。
「古木だが回り支える傘となり」
初心者の域で時に入選、時々特選までいただきました。 「あれ、もしかしたら?」と思ったのが大変な勘違いでした。恥ずかしながら 「川柳入門 田口麦彦著」を4年前から手にしているのに、やっと読み終えました。著者のあとがきにも、3月も続けると句会でも入選句として詠みあげられるでしょう。 「入口が広くて手軽に詠める。」 それが落とし穴だと田口氏。作品には作家の存在感がなければならない。人間を詠むことを突き進めて社会を詠む。確かに自分の存在をいつも誇張して詠んでいる私です。 しかし、「見えないものを見る」「イメージ・比喩」 これが私のぶち当たっている壁でしょうか? 大先輩の句を詠むにつけそれを理解する力すらない、川柳をもっと深く見つめよう、何をどのように詠むかという目的をはっきりさせよう。先人たちの血のにじむような歴史があり、言論の自由のない時代に身体を張って詠み繋いできた人たち。社会を詠むことはなかなかむずかしい。世の中の出来事に目を背けないで生きていかないと詠めないものですね。
川柳が「たった17文字で世の不正を暴いたり文明を批評したりできる唯一の文芸である」すごいことです。高校生の頃小林多喜二の蟹工船に出会い、衝撃を受けたことを思い出しました。
「手と足をもいだ丸太にしてかへし 鶴 彬」
多感な青年期に、平和を願ううたごえ運動に出会い、反戦への思いを合唱で歌い続けた私に、出会うべくして出会った川柳だったのですね。
「人間の心抜かれる兵士たち」
とはいえ時事川柳はなかなか詠めていません。
「百歳を目指したっぷりある未来」
私の川柳人生はまだ序の口です。
ここ言われてる「川柳コーナーを発足させた日」が、
こちら2014年12月26日の「kaeruのつぶやき」です。