一つ目の碑は全国的にも知られています、この碑
亡くなった12名の少年の記念像はこちらからのものです、
説明文も含めてご覧下さい、
一方、14名とも16名とも言われています少年たちの慰霊碑は、
この一枚は、こちらのYouTubeの2:45くらいにあり草柳博さんが話されています。
今日が「子どもたちが砲台に消えて」78年目の忌日で、事件が起きたのは昭和20年10月20日でした。
今日は、午前10時から草柳さんの女婿・丸山治章氏(逗子市議)の元で慰霊祭が催されました。90歳近い草柳博さんも参加されました、「逗子の歴史を学ぶ会」からも会員の多くが参列しました。
会長が都合が悪く欠席したので副会長として私が「当会としての考え方」を読み上げました、以下該当の一文です。
表示されている部分に②の後半と③を含めて全文の文字移し、
当会としての考え方 会長 今泉良一
① 「砲台に消えた子供たち」 のことは、逗子市民でも知っている人は極めて少ない。 当会なりに関係部署 (逗子市、横須賀市 横浜防衛施設局) と接触し、 何があったかを地道に調べて、小坪地区を始め逗子市民の皆さんにお知らせしたいと思っている。 事故が起きた時、 逗子市は横須賀市の一部であり、 逗子市には 「砲台に消えた子供たち」に関する資料、ファイルは残されていない。 (市民協働課, 石井次長による)
② 爆発現場の小坪南砲台入り口に、慰霊碑と卒塔婆が設置されていた。 いつのころからか、 遺族にも知られることなく、 小坪逗子海岸トンネルの上
(市有地)に移され、 お参りする人も少なく、 放置されていた。 当会は、昨年12月に丸山議員のご案内で慰霊碑にお参りし、 お墓掃除も行った。
ご遺族のほうでは、慰霊碑を現在の場所から以前あった砲台跡の近くの平地に移す計画がおありとお聞きしている。 そうすれば、一般市民の方も
お参りしやすく、とても良いと思う。
③ さらに、現存する慰霊碑は、小さく古く、(裏に、建立年 昭和24年とある)書かれている遺族の名前も読めない。 遺族方は、慰霊碑を大きく新し
くして、犠牲者の名前を刻んだものにしたい、との希望をお持ちであるが、 新設にはコストがかかる。 当会では市民の皆さんに現在の状況をお知らせし、賛同される市民の皆様から寄付を募り、いくらかでも遺族の皆様をバックアップして行きたいと考えている。 ぜひ、皆様のご協力を賜りた
い。
本当はその慰霊祭の状況を写真でご覧いただきたいのですが、写してもらったiPadを落として「アルバム」に保存されていません。同行した人から貰ってここにアップし、少し言葉をつけ加えたいと思います。