藤井聡太将棋士が七冠から八冠独占❗️とかその勝ちが2:8で敗の状況から直後に1:9の勝ちの一転する、ここで膝を打って「愉快❗️」と叫ぶのは藤井ファンでしょう。
その盤上の動き、対峙する将棋士二人、その二人を支えるファンや関係者の双方など全体の状況を、「滑稽!」と見る視点もあるのではないでしょうか。
全体から少し引いている視線、だからこそ全体が見える、それも目前の状況だけでなく成り立ってきた奥行きが見える。奥行きが見えるということは行き先も見えてくる事を意味します。
のめり込まないが冷めてはいない視線、当事者でありながら自分を当事者から少し離している、それは自分が勝つことを通じて「面白い将棋」を作りだすことだけが自分にとっての将棋だと藤井聡太は思っているのです。
人間が協力しあうというなかには、競い合うという側面もあります。それは相互に助け合うと同じように人間関係の根源的なものの一つでしょう。その関係がつくりだすのが面白さ「面白い将棋」です。
そんなで目で「俳句と川柳の滑稽」を考えて何が根源的なものか、と考えるとひとつの解答が「男はつらいよ」の寅さんの啖呵売にあるように思えるのです。
https://drive.google.com/file/d/1Inm0vaahMx2U-5Z4kfMMx631wf3ccZ1j/view?usp=drivesdk
人間の存在の根源的なもの、身体の生理性(お尻、クソ、ションベン)と人間関係の根源(恋愛=性)、これを映画という総合芸術に結晶させた山田洋次と表現した渥美清。
飛躍して言えば、その言語分野(詩)での表現が川柳であろうかと思うのです。