kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

スマフォンよ、お前もか!

2012-12-21 23:00:43 | どこまで続くかこのブログ

 「え!スマフォンも壊れた」とびっくりして店に持っていったらが機内内モードになっていたのでした。飛行機ならぬバス内でいじっている時知らぬ間にONしていたのです。

 なんでも不調になれば壊れたと思う機械オンチです。実はPCもそうでした。中が壊れたのではなくディスクが一杯になって動きが取れなくなったのだそうです。机の上が一杯になって使えなくなったのと同じですか、と聞いたらそうです、とのことでした。整理しつつ隣の机に物を移せばいいのだそうです。

 なにやら全て自己責任で対応することになりました。机の整理も苦手なのですが何でもやってみることでしょう、PC整理に挑戦です。


スマフォンより I を込めて。

2012-12-19 23:42:41 | どこまで続くかこのブログ

PCがダウンしてしまいました。選挙結果に関係無いはずですが、それはそれ道具も使い込めば一身同体で感ずる所があったのでしょう。本人がやっと元気になったら、休む番だと言いはじめました、修理に出します。

手もとに戻るまでスマフォンからのつぶやき・ささやきで耳元を煩わします「I=愛=私」。それではスマフォンより I を込めて「オヤスミナサイ」。

 


政治とは、……。

2012-12-17 22:17:20 | せいじの政治カフェ

 接続不良はPCに寿命が近付いている証かも知れません。スイッチONで

もカーソルが真ん中で不動のまま、画面が開きません、というような状態が

続いて電源を強制的に切ってからやり直し、こうやって使えるようになりまし

た、壊れ始めたのかと気になります。 形あるものは形を変える、壊れるとい

うは変形のひとつの段階でしょう。

 

 「日本の政治」という形あるものは今回の総選挙でどう変形したのでしょう。

 日本共産党の前進に政治の変革を期している者の立場から次の言葉が心

に残ります。

 「政治とは、幾百万の人間の実際の運命のことにほかなりません」

 これは日本共産党の元副委員長・上田耕一郎さんがレーニンの言葉をもと

に話されてることですが、今の日本でいえば、幾千万人の運命いや全国民の

運命そのものを政治という、と言えるでしょう。

 「実際の運命」とは毎日毎日の生活のことだと思います。生活のなかに幸不

幸の原因と結果が育まれていくのですが、一人ひとりの国民の幸不幸のなかの

社会的要因を政治という、といえます。

 労働生活・家庭生活・社会生活・余暇生活、ひとり一人のあらゆる生活のあら

ゆる面で、苦しみ不安などを見いだす時そこに貧困、疎外など社会的要因が必

ずまとい付いています。

 

 今回の総選挙で日本共産党の公約は、国民の生活にまとい付く「負の社会的

要因」を取り除くことでした。

 志位委員長の言葉で確認していおきます。

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-17/2012121701_02_1.html

 


動かすために動かない。

2012-12-15 22:30:44 | せいじの政治カフェ

 日ごろ見ているブログで「葉牡丹の写真と花言葉=動じない」のタイトルに

「動じない心」を読み、こんなコメントを送りました。

【 「動じない」というタイトルに「動じる」話、「ビックバン宇宙論」の話です。

 「ビックバン」で宇宙の年齢は137億年だそうです。誕生の100万分の

1秒後、宇宙の温度は5兆度、驚くのはこの超高温を実験装置で作り出し、

クォークが単独で存在する状態を確認できたのはこの装置のおかげだと書

かれていました。

 宇宙も巨大ですがそれを探究する人間も巨大です。

 137億年前から宇宙は膨張し続け地球も太陽系も銀河系の一員としてこ

の流れのなかを「すっ飛んでいる」。ということは「動」が本質でしょう。それだ

からこそ「不動」の大切さがあるのでしょう、ぶれないことの大切さが。】

 

 誰がみても今の時代、大きな変動が求められています、変わらざるをえない

状況だと立場を超えて言います。だからこそ、不動の立場に立ち得る者が変え

得る者だといえるのです。


「政治家と話そう」

2012-12-14 23:58:41 | せいじの政治カフェ

 Googleの「政治家と話そう」とそのコメントを読んでいたら時間が無くなって

いました。

 はじめての試みということで、時間をはじめ「話そう」というタイトルにふさわ

しいものにしていくにはかなり改善されなければならないでしょう。

 いずれにしても生活のなかで政治を考えるうえで、こういう試みの持つ意味

は大きいと感じました。 どうやって日常に足を着けた思考をつくり出していけ

るのか。 生活実感と政治観を相互に深めあえる選挙時だけでない「場づくり」

が必要になってきてるのです、この「つぶやき」で150日目を迎えたkaeruの

の実感でもあります。

 

 「政治家と話そう」は下記を

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.google.co.jp/intl/ALL_jp/landing/senkyo2012/hanasou.html


瀬戸内寂聴さんが「ぶれない」。

2012-12-13 21:18:45 | せいじの政治カフェ

 昨日の「kaeruのつぶやき」での「赤旗日曜版」の瀬戸内さんの発言に

ついて、今日の「赤旗」に載っていましたので紹介します。

 「私の基準は、言っていることと、していることがぶれない政党を選ぶべ

きだ、ということです。その点で、日本共産党は一貫してぶれていませんね」

と述べたうえで、

 「投票しても共産党の議席がなかなか増えないので、私は 『党名を変え

ろ』 とずっと言ってきました。でも政党が次つぎ名前を変え、5日で消えて

いくような党もある今の状態を見ていると、変えるのもどうかと思いますね。

とにかく発言のぶれない政党は信頼できます」と、述べています。

 

 ふと、思うのですが、瀬戸内寂聴さんという一人の婦人に一貫している

ものは何だったのでしょう。そのことと日本共産党が一貫しているという

ことが共鳴したのでしょうか。寂聴さんの作品を全くと言っていいほど読

んでいません。その声を直接聞いたのは「7・16集会」での発言だけです。

このブログでも、寂聴さんのことを二回ほど「つぶやいて」います(7/27、

8/19)が、この人の表面的なことしか見ていません。

 何がこの希有な女性、作家、尼さん、そして社会運動家(本人はそう思

わないでしょう)と、これも希有な政党=日本共産党と「共鳴」させるのか。

面白い問題です。

 


「共産党」という名前を変えたら、と言ってくれた人へ。

2012-12-12 21:21:27 | せいじの政治カフェ

 16日付けの「しんぶん赤旗日曜版」をすこし早目にご覧ください。

 瀬戸内さんのお話、中身が読みとれませんが見出しから見て、ご自分が日

本共産党を支持しつつ党名を変えれば、もっと支持が広がるだろうと言った

ことへの今の時点での感想を述べておられるのだろうと思います。

 詳しくは明日触れたいと思います。

 「しんぶん赤旗」については下記を、

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/


「歴史を動かし、希望をともに」

2012-12-11 23:24:33 | せいじの政治カフェ

 今日のタイトルは「しんぶん赤旗」からで、「若い世代と総選挙」と題した

「主張」の見出しです。そして下の写真は先日の南三陸町での支援活動の

帰路、石巻市雄勝町に寄ったときのもので写っているのは同行した孫です。

  

 私が日本共産党を知った時、「未来は青年のものだ」というスローガン

に大きな魅力を感じたものでした。21世紀の日本社会をつくる青年が

この選挙を自分たちの未来をつくる活動として取り組んでいることは頼

もしい限りです。この孫にもその道を力強く歩んでもらいたいと思います。

 

「主張」は

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-11/2012121101_05_1.html

 写真は雄勝町の船戸地区ですが、3月11日、津波に襲われる状況がyoutube

で見られます。ビデオの終わりの画像にネズミ色の三角の建物が一瞬写り、地域

の名前が知ることがきました。(同上)

http://www.youtube.com/watch?v=bn-tTDFs0BY


讃美歌。

2012-12-10 22:37:18 | 葉山そして人

 多彩な一日でした。 風邪で寝込んでいれば、自宅での一日、仕事に向か

えば中心はその場、会議に出ればほぼ仲間感覚での付き合いで終日。

 

 今日は久しぶりに地域の高齢者の例会、二人の仲間の米寿を祝うつどい

に出て、会食をしケーキを食べ贈りものをしました。その後、みんなで歌いま

しょう、ということになって指導のご婦人から配られたのが「きよしこの夜」「ジ

ングル・ベル」に讃美歌が2曲。前の二つは知ってます、歌ったこともあります、

でも讃美歌を音符付で渡されて歌いましょう、と言われてもkaeruの喉は鳴り

ません、と密かに思いました。

 ところが、15人ほどのなかで五六人は歌えます、つられて他の人も歌います、

kaeruの喉もそれなりに動き口もそれなりに……

 ♪♪ さだめたまいし 救いのときに、

    かみのみくらを はなれて降り、

    いやしき賎の 処女(おとめ)にやどり、

    世びとのなかに 住むべき為に、

    いまぞ生れし 君をたたえよ。 ♪♪

 「きよしこの夜」も讃美歌なのですから、生れてはじめて讃美歌を歌った、という

事でもないのですが、歌詞のなかに人が神に求めるもの、神が人に求めるものを

知る思いがしました。