kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

労働の価値と社会的連帯。

2012-12-09 23:39:36 | せいじの政治カフェ

 今日は仕事の関係で、「一般社団法人 日本社会連帯機構」の総会に参

加してきました。この団体については下のURLを参考に、今日の総会につい

ても触れています。

 (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://ja-jp.facebook.com/shakairentai

 

 昨年の3・11以降「絆」という言葉が多くつかわれ、私の今年の年賀状も「絆」

でした。 社会連帯とはこの「絆」を意味しているのでしょうが、本来の絆とは馬な

どを立木につなげる綱のことをいうそうで、社会連帯というのが正確でしょう。

 そして21世紀の現代日本、とくに「3・11」以降の日本社会において「社会連

帯」の根底に「労働の価値」への合意があると思います。

 

 6日に「つぶやいた」ことですが、重症心身障害者がかなり長く生存し得る条件

に、なにより親族の大きな負担があります、併せて社会的連帯無しにそれは不

可能なことです。 そして、「負担」とか「連帯」とかはすべて直接間接の別はあり

ますが、「労働の価値」ではないでしょうか。 私的な労働=賃金等、社会的な労

働=税金などの「労働の価値」を労働に携え得ない幼児・子ども、病者、障害者、

高齢者などの生存を保障するため、どう分配するかが政治の課題である筈です。

 

 人間の社会的発展とは、棄老をしなくても済む社会、赤ん坊を間引きしなくても

済む社会、病人への手当てに心痛めずに済む社会、そんな社会にしたい、そう

いう社会にするため自分の労働を役立てようという本質を持ってきたと思います。

あらためて身近なところから地域の課題から、活動を組み立てていきたいと思い

ました。

 会場近くがkaeru青年が政治と恋に目覚めた街でもあり、この街で踏み出した

一歩の方向は間違っていなかったと、少し歩き回りながら確信を深めてきた一日

でした。


気分は風邪。

2012-12-08 21:37:15 | どこまで続くかこのブログ

 風邪で寝込んでから1ヶ月は経ちます。この間、仕事以外はほとんど外

出をしていません。「食っちゃ寝」と言われますが「食うと寝る」の間に「仕事」

を挟んでいる、という状況が続いてきました。

 寝癖とは寝ている間につく髪の毛のくせをいうのですからこの場合、寝る癖

がついたというべきで、机に向うのがなにやら億劫で床のまわりが机です。

kaeruの冬眠よろしく、床のなかで「つぶやき・ぼやき」続けています。

 

 医者の見立ては何でもありません、ですが熱っぽさが抜けず、喉のイガイガ

が取れず額のあたりに軽い頭痛と、気分は風邪の状態が続きます。

 しかしkaeru冬眠に入る、という訳にもいかないのが人間社会の動きで、幸

い五日続きの仕事も無事終わり、若い仲間からご苦労様でしたの言葉も受け

ました。

 

 明日は東京で仕事に関しての全国の集まりがあります、久しぶりに外出し、

世間の空気も吸って脳内にも風を通して来ましょう。

 


自然は裏切らない、警告をする。

2012-12-07 23:24:29 | せいじの政治カフェ

 テレビを見ていると妻が二階に上がってきて、地震だよと言います。チャン

ネルを切り替えると画面に地震情報、「揺れているでしょう」と言われて揺れ

に気づきました、午後5時20分頃の地震です。

 

 三陸沖を震源とするM7.3、「3・11大地震」の余震とみられます。夜のNH

Kの解説で、今日の地震の震源は日本海溝の外側(太平洋プレート)で、大

地震は北米プレート(日本列島の北海道と東北・関東部分の「載っている」プ

レート)と太平洋プレートの境目で起きたのですが、大地震に対応して起きる

地震(解説で専門家はペアとなるべき地震と説明)としてはMが小さい。本震

よりM1小さい位の規模の地震が起きる可能性があると、述べていました。

 「3・11大地震」から2年も経たないわけですが、自然界の尺度ではなく、

人間界のそれも日時を単位としている者の「常識的尺度」で、なんとなく余震

は収まったと思っていたところでのM7.3です。そしてさらに規模の大きい地

震の可能性が指摘されているのです。

 

 「3・11大地震」の直後、ある漁師の「海に裏切られた」との言葉をテレ

ビで聞いた時、「いや、裏切ったのではない、警告したのだ」と思ったの

ですが、「自然界の姿・声」を警告として認識できる「科学の耳目」を、日

常の生活のなかでも身に付ける工夫が必要なのです。 


重症心身障害児・者とはどういう存在か。

2012-12-06 21:28:49 | せいじの政治カフェ

 重症心身障害者、それもかなり高齢の方を目の前にして、50年60年とい

うこの人の人生は、何だったのだろうと思うのです。この人(達)は一度でも

生産の場に立ったことがあるだろうか、無い、にもかかわらずこの年齢まで

生きてこれたことの意味はなにか、と。

 下記は「横浜市重症心身障害児・者を守る会」のHPにあった文章の一部

です。

 「重症児者は意思表示ができないように見られる。けれども厳しく生きる中で、

可能性を伸ばし・優しさ・温もり・愛情を感じて表す笑顔には人の心を動かす

力がある。 ある登校拒否の生徒が重症児者と向き合うことで立ち直ったという。

その生きる姿は、かかわる多くの方々に活力と感動を与える不思議な存在で

ある。支えられる人が人を支える、 これが重症児者の生産性(自立)ということ

ではなかろうか。」

 一切の夾雑物のない「いのちそのもの」としての存在、それも野生動物の世

界では存在しえない人間社会だからこそ在り得る者として私の前に在るのです。

 

 「棄老」を掟としたような共同体では存在し得なかったでしょう。 「障害が重くて

社会の役に立たない者には国の予算は使えません」(『重い障害を生きるという

こと』・岩波新書P138)との発言にくじけず、親として医師として介護者として、施

設を支える者として運動を続けてきた結果として在るのです。

 

 この人たちの存在は、「人間というのはどのような存在なのか、どのような生き

ものなのかということ、さらには社会の在りようにも広がっていくと思う」(『重い障

害を生きるということ』、「はじめに」より)

 


神保町の夜、そして『楢山節考』。

2012-12-05 21:24:55 | せいじの政治カフェ

  昨日に続き神保町時代の思い出話です、お付き合いください。

  昭和31年(1956)の11月号雑誌「中央公論」に深沢七郎の「楢山節

考」が発表されました。それは中央公論新人賞受賞作としてでも、ふるさと

信州の姥捨山伝説を素にしていたこともあって当時の私は強い衝撃を受

けました。読んだその夜、なにやら興奮して神保町から神田界隈をどこと

なく歩き回ったものでした。小説とは関連もないことですが、自分の十代も

終わりに近づいているとか、このまま今の仕事に就いていていいのだろうか、

とか人生の分岐点で出会った文学でした。

 

 「楢山節考」は棄老伝説を素にし、小説家によって物語としてありうべき世

界を描き出しています。「棄老」とは加齢によって生産能力を失った者をひとつ

の共同体の中から外していくことです。物語のなかでは家族のなかからという

形を取りますが、その共同体を維持していくための「掟」とでもいうべきこととし

て作用したと想像できます。

 先日kaeruがクリニックに診察を受けに行った時、はじめて「後期高齢者医療

被保険証」を持参しました。この保険制度の導入にあっては「姥捨て山だ」との

批判が起きました、現代の「棄老」制度です。民主党はこの制度の廃止を公約

していたが棚上げされたままです。

 

 kaeruが「楢山節考」を思いだしたのは、神保町の思い出や民主党の「公約」

だけではありません。仕事の現場で重症心身障害者それもかなり年齢のいった

方の姿に触れるからです。この人たちの姿に社会の在りようや政治の課題を考

える基本があると思うからです。長くなりそうなので明日「つぶやき」ます。

 

 なお、『楢山節考』については下記を参照して下さい。

 (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1%E7%AF%80%E8%80%83


それは神保町から始まった。

2012-12-04 20:01:02 | せいじの政治カフェ

 『神保町の窓から』という本を買ってしまった。昨日立ち読みした時、買いたい

と思ったが懐が許さないか、と諦めたが今日は買った。小出版社の本は何処に

も何時でもあるということが無い!要するに目についた時に手に入れておかなけ

ればそれきっりになり、本人も忘れる。

 

 神保町という街の名前、著者が小出版社の社長、ほぼ同年代、そして労働者協

同組合についてちょっと触れている。

 まず、この街・東京神田神保町・本の街・古書店街、しばらく行っていない、この

街を本を買う資金なしに歩くのは精神的に参る。時間も無いし金もないから出かけ

ていけない。

 そんな私に「街の方から出かけてきた」、付き合わないわけにはいかないではあ

りませんか。

 

 そこは、本の小さな問屋で住み込みで働きはじめたところ、同じ釜の飯を食う仲間

を知り、女の子を好きになり府中の宮大工の自宅に上がり親父さんと話したこと、労

働組合をつくろうと雑誌に投稿したり、初選挙権を得て共産党の候補者に入れ本当

によかったのかどうかかなり悩んだ所。

 要するに一人の青年が大人になる玄関口でした。

 

 その本に関しては下のURLをみて下さい。 

 (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当画面に移動できます)

http://www.kageshobo.co.jp/main/books/jinbochonomadokara.html#jinbocho_syohyou


トヨタ自動車社長と kaeru の負担率。

2012-12-03 21:26:19 | せいじの政治カフェ

 この富士山が歪んでぼやけているようなグラフが昨日つぶやいた国税庁

の2007年「申告所得税の実態」が示す「申告所得税階級別の所得税負

担率」です。 昨日紹介しました垣内さんが書いた 『消費税が日本をダメに

する』 (新日本出版社) の50ページにあります。

 一番高い頂きが26.5%で所得1億円のところで、右下がりの終点が百

億円以上の14.2%です。

 

 さて、kaeruの5年ほど前の郵便貯金通帳をみると受取利息153円とし

て括弧書きで、利子190円、税金37円と記載されています。税率20%

(所得税15・住民税5)です。

 昨日の垣内さんの計算からみると、トヨタ自動車社長豊田章男氏は自社

株の配当2億583万円を受けています、そのかかる税率は10%(所得税

7・住民税3)です。この優遇税制は来年の12月まで続きますが、その後の

税率はkaeruと同じ20%になることになっています。

生保和田秀樹.jpg

 今週の「しんぶん 赤旗 日曜版」に精神科医の和田秀樹さんが登場。

見出しにあるように「金持ち増税を」で、こう述べています。

 今度の選挙で「金持ちの税金を増やす」と言っているのが共産党ぐらい

しかないというのは異常事態です。


税金負担率の話です、トヨタ自動車社長と一般社員を比較すると……。

2012-12-02 20:10:56 | せいじの政治カフェ

 トヨタ自動車の社長・豊田章男氏の2010年度の年間報酬は、1億3500

万円であり、保有している自社株の配当が2億583万円でした。それらに

かかる所得税を計算してみると5130万円で年収の15.1%です、これに

社会保険料を含めてみると5438万円になり16%の負担率になります。

 では、その会社で働いている一般社員はどうでしょうか。

平均年収は727万1090円、この場合所得税と社会保険料の合計は年間

224万円となり、年収に対する負担率は30.7%となります。

 このようなことが起るのは、所得1億円をこえると急速に負担率が下がる

からです。2007年の国税庁の「申告所得税の実態」によると所得1億円で

は26.5%を示していたグラフが、下りはじめ100億円を超えると14.2%に

ります、なぜそうなるのでしょう。

 このクラスの富裕層では所得のなかで金融取引や土地取引による部分

が多くを占めその部分は「分離課税」にされ税率が低くなっているからです。

とくに2003年に証券優遇税制が導入され5年間の時限措置とされていた

譲渡益・配当への税率10%(本則20%)は11年間延長されてきました。

 

 以上の計算等はkaeruの作業では勿論ありません。昨年の12月3日の

「しんぶん赤旗」に日本共産党の政策委員会の垣内さんが書かれたもの

です。

 (下記URLをドラッグしクリックしてみて下さい、該当画面に移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-03/2011120306_01_1.html

 


kaeruの「おくのほそ道」5

2012-12-01 19:13:19 | 中間詩的つぶやき

 「一歩一歩の足跡の先に……」を上のタイトルに変えました。

 今日のデーターによると、

「昨日の歩数 11,655歩 黒羽まで、あと24.1km 35,626歩で 達成です」

いずれ二三日のうちに黒羽到着になりますので、その時に又……。

 

 ノンフクション作家・金森敦子さんの『江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く』によ

ると俳諧師・諸九尼が京から江戸に向かう途中、明和八年四月二十六日(1771

年6月8日)の記録に「七里ガ浜、由比ヶ浜を通って鎌倉へ。途中、鰹が群れ来る

のに行き合う。波の色がまるで墨を流したように真っ黒に見えた。」とありました。

 kaeruが「おくのほそ道」をたどる案内に金森さんの『芭蕉「おくのほそ道」の旅』

を手元においていますので、たまたま同氏の諸九尼の生涯を書いた本を開き、こ

れもたまたま「鎌倉」の文字を目にして、覚書的にここに書いておきます。

 毎週三日は、由比ヶ浜、七里ガ浜を江ノ電の窓から目にするので、なおのこと覚

えておきたい記録です。

 

  目に青葉山郭公(ほととぎす)はつ鰹    山口 素堂

  鎌倉を生(いき)て出(いで)けむ初鰹    松尾 芭蕉