したたかに酔い、つぶれはしなかったが「つぶやける」状態でなく帰宅する
や寝床にダウン。森山神社氏子会の新年会でビールと冷酒のちゃんぽんで
す、参ったと思いながらも杯を重ねもともと飲めない方なので足元も危なくな
る有り様。それでも昨年よりは酔いは浅かったと思います。
昨年はビールと冷酒に紹興酒が加わり、さらに何方かが持ち込んだウイス
キーが注がれて完全に参りました。人がアルコールが元で気を失い亡くなっ
て逝くとすればこんな状況になっていくのかなと実感でき、それはそれで面白
かったのですが、二度とするべきことではないとの自制も働き、今夜は控え目
でした。
昨年、かなり飲み合った人が、乾杯のビールだけで、まったく受け付けません。
聞くと昨年十月ころ血圧が高いと診断され、医者になにか言われたわけではな
いが、自制しているのだとのこと。
人がその場での快さをセーブして、なお自らの健康に留意するのは、自分の
人生の目的にもとずく価値観によって日々を律していくからでしょう。己という
器を通じて何を実現しようとしているのか、特に定年後の人びとが活動する氏
子会など地域のつながりの場では相互理解の要の問題であろうと知ったこと
で、酔いざめの水もまことに甘露でした。