kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

スターリンの圧政、なぜ?

2013-01-09 21:37:12 | 不破・スターリン秘史

 今日の 「赤旗 読者の広場」 に 「なぜなのかが知りたいのです」 という投

稿が載りました。 82歳のこの方は「不破社研所長に聞く「スターリン秘史」を

興味深く読みました」と書きだしておられます。

 この「不破所長に聞く」は12月の24,25に「赤旗」に載った「スターリン秘史」

連載にあたってのインタビューで、一読してもらえればと思います。

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-24/2012122405_01_0.html

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-25/2012122510_01_0.html

 

 投稿者は 「世界で最初に社会主義への道に踏み出したソ連で、レーニンの後

継者を装って、スターリンがソ連を社会主義とは無縁の国に変質させ」たこと、そ

れがなぜ可能であったのか、それを知りたいと書いておられます。そして、「この

ことの解明は社会主義をめざす政党にとって必要です。この意味で不破所長の

研究を期待します」と。

 

 私の関心もそこにありますが、併せてスターリンと日本人の「運命」です。

 個人的なことからいっても義父は兵士として旧満州で終戦を迎えシベリ

アへ連れていかれました。 それもスターリンによる「日本軍捕虜50万人の

受け入れ、配置、労働利用について」という極秘命令によるものです。

 また、不破さんのインタビューのなかでスターリンは日本に武装闘争を持

ち込もうとしたことを指摘し、今回の研究でなぜそのようなことを強行したの

か「謎解き」をすると、おおいに期待するところです。  

 


何が始まろうとしているか。不破さんの「スターリン秘史」

2013-01-08 23:41:18 | 不破・スターリン秘史

 日本共産党の雑誌「前衛」に不破哲三さんが「スターリン秘史―巨悪の成

立と展開」を連載し始めました。 

 不破さんによる「スターリンの大国主義研究」を心待ちにしていました。

 2010年11月から12月にかけて、読売新聞に不破哲三「時代の証言」と

いうインタビュー記事が連載されていましたが、私はそれを知りませんでし

た。 翌年に入ってある人から連載の切り抜きをいただいたのです。 

 そこに不破さんがその時点で、「私自身の理論研究のことですが、大きな

主題をいくつか持っています。」として、「一つはスターリンの大国主義の歴

史です」と挙げておられました。 「もう一つは、『資本論』の形成過程の研究

です」。

 もう一つの方はすでに雑誌「経済」での連載を終え、一年前・2012年1月

に発刊された 『『資本論』はどのようにして形成されたか』です。 この本も

不破さんの「資本論」研究の到達点を示すものになっていますが、「スターリ

ン秘史」は、不破さんがインタビューのなかで述べているように「(この研究

のなかで)新たな脈絡が究明されれば、少なくても世界史のある部分の書

き変えが必要になるかもしれない」という内容を示すことでしょう。

 

 こらから読み進めていくうちにこのkaeru的感想など「つぶやく」ことになり

そうなので、新たな「カテゴリー」とやらをつくります。この「つぶやき」のカテ

ゴリー、なんのことやら分からぬ分類になっています。いずれ整理したいと

思っていますが、とりあえず「不破・スターリン秘史」にもお付き合い下さい。

 


kaeruの「おくのほそ道」9  福島忘れまじ。

2013-01-07 23:53:16 | kaeruの「おくのほそ道」

 まず昨日の「つぶやき」の訂正をしておきます。

 「140頁280首」と書きましたが、1頁1首で140首、歌が記されていない

頁を除くと119首です。 なお、本の名は『震災歌集』。

 

 この歌集に「3・11」の原発・福島がこのように詠われています。

   音もなく原子炉建屋爆発すインターネット動画の中に

   原発をかかる人らに任せてゐたのかしどろもどろの東電の会見

   原子炉に放水にゆく消防士その妻の言葉「あなたを信じています」

 

 芭蕉が白河の関にかかって 「旅心定まりぬ」と書いています。 ここは

関東を背にし、「みちのく」に足を踏み入れる国境の関所です。 当時関

所としての機能は失ってはいましたが、歌枕の地として知られていまし

た。 芭蕉にとって忘れてはならないことは、古来より多くの歌を詠んだ

先人の思いです。 ここでは平兼盛、能因法師、源頼政の歌を巧みに組

み込んだ文章を残しています。

 

 3・11以後、福島は私たちにとって忘れてはならない地名となりました。

広島・長崎を忘れてはならない地名として私たちは受けとめていました。

そして、「うたごえ」活動のなかで「原爆許すまじ」を歌う時、その町の名

前は何時も私たちの心にありました。

  ふるさとの街やかれ
  身よりの骨うめし焼土に
  今は白い花咲く
    ああ許すまじ原爆を
    三度許すまじ原爆を
    われらの街に

 しかし本当に、「許すまじ」の思いを深め強め広げ続けていたならば、

「原発」をおさえていたのではなかっただろうか、このことは心に刻ん

おかなければならないことだと思います。


kaeruの「おくのほそ道」8  歌の力。

2013-01-06 23:51:10 | kaeruの「おくのほそ道」

 昨日に続いて「おくのほそ道」の話。

 飯坂は「おくのほそ道」には飯塚とあります。 温泉地で芭蕉はここで泊まっ

たのですが 「湯に入て宿をかるに、土座に筵(むしろ)を敷きて、あやしき貧

家なり」 と記し、さらに寝ていると雷鳴に雨その雨が漏れ、おまけに蚤・蚊に

責め立てられ眠れない、と大変な目にあっていました。

 現在の飯坂温泉はもちろん当時の湯治場飯坂の名誉のために付け加えて

おけば、「宿泊所がみな芭蕉が泊まったようなひどいところでもないようで、三

浦迂斎(芭蕉より73年後にここで泊まった播磨国の製塩・廻漕業者)は十三

日間も優雅に過ごしています。(金森敦子『芭蕉「おくのほそ道」の旅』)

 

 白石が震災で受けた被害について昨日触れました、白石は内陸部ですから

津波の被害はありませんでした。芭蕉は白石の次仙台に泊まり、そこから塩釜

泊まり、そして松島へと向かいます、松島の次は石巻です。

 この区間がまさに大津波に蹂躙された街と人でした。

 芭蕉ならぬ俳人・長谷川 櫂さんが詠んだ短歌があります。

 

  その歌集の第一首は

      二〇一一年三月十一日

  津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくる瀑布

  二頁目

  夢ならず大き津波の襲ひきて泣き叫ぶもの波のまにまに

  三頁に

  乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつ

  

  140頁280首の「歌の力」を示す一冊です。


kaeruの「おくのほそ道」7、今年中に全行程を。

2013-01-05 23:35:20 | kaeruの「おくのほそ道」

 kaeruが「おくのほそ道」へと歩きだしたのが7月28日でした。そこから

今日で162日間約73万8千歩、平均4600歩位になるのですが、これは

実感よりかなり少ないと思い、12月の記録で計算してみましたら11700歩

になっています。 仕事のある日と無い日の違いは歴然としていてある日は

13550歩でない日で特に出かけないと4600歩でした。

 

 職場のご婦人が、3・11以後、専業主婦のダラケタ生活を見直ししては

じめて働きに出たら、垂れ下ったお腹も見事にダイエットされ大変だけど

嬉しいと申します。 ふつうダイエットのためにお金をかけているのに、気

持ちもしっかりしお金も稼げる、仕事様さまですねと申し上げました。

 kaeruにとってもそういうことで、日常の動きが体づくりのもとです。

 

 横道にそれましたが、この調子で特に休みの日に意識して歩けば、これ

から平均一日一万歩は十分可能でしょう。一歩の歩幅が0.68mとされて

いますので280日で「おくのほそ道」の終着大垣に着きます。10月の中頃

で、図らずも芭蕉が大垣に着いたのが元禄二年八月二一日とされており、

1689年10月4日になります。 季節的には同じころ大垣着となりたいもの

です。

 ところでkaeruは今どこにいるかというと、飯坂の宿を出て5kばかり次の

白石まで25kmの所です。 この白石では今回の大震災で土砂崩れによっ

て死者12名を出しています。いま芭蕉の東北での足跡には災害の跡と復

興に取り組む人びとの姿が見られるでしょう。


スマフォン深夜便

2013-01-05 02:47:58 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 夕食のあとひと寝入りしてから、「つぶやき」だそうと思ってましたが、いま夜中の一時過ぎです。

 寿福寺のことを書く予定でしたが、この時刻の鎌倉の寺歩きを考えて目が冴えてきました。そういう人がいるのか?分かりませんが死者との会話を目的とするならばこの時刻はふさわしいでしょう。

 これは想像の世界ですが、この時刻の寺という場と神社という場では受ける精神状態はかなり異なるでしょう。死者の弔われている場と神が祀られている場は昼間でも印象が当然違います。その違いはこの時刻でしたらもっとはっきりすること請け合います。

 嘗てこの違いは統一されていたのではないでしょうか。神社と仏閣が同じ場所にあった時代には。

 時刻は二時を回りました、こんな考えはこの時刻でなければ起こってこなかったかも知れません。それにスマフォンの不便な入力方法だから出てきたのかも知れません。明るい所で便利な道具を使って考えていると失ったものに気づかずに来てしまうのではないでしょうか。

 それにしても一字一字入力するのはしんどい、考えや思いが刻まれて疲れます。それでいて神経は活気づいてきます。一方は眠気を誘い一方が動き出す。夜明けに向かう時刻とはそんな二面を持っているのでしょう、時代も同じです。


鎌倉あるき=神様から神さんへ。

2013-01-03 21:26:51 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 午後までだと思っていた仕事が午前中で終ったので、内の奥さんを昼食に

誘いました。

 大晦日から元日と二日の三日間「村の鎮守さま」の世話人としての役割を果

たせたのも、内に神さんの全面的なバックアップがあってこそ出来たことです。

 感謝の気持ちを込めて鎌倉駅で待ち合せし、江ノ電口からすきっ腹を抱えな

がら「何でもいいから早く食べよう」と歩きだし、入ったのが「鎌倉 六弥太」。

 鎌倉豆富(豆腐)のハンバーグ、かなりのボリュームで満足。 店の名前の

「六弥太」は岡部六弥太からきていて、その由来は店のHPで見て下さい。

(下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www1.m.jcnnet.jp/kamakurarokuyata/ 

 この六弥太の墓と称する物が葉山にあります。 称するとするのはこれを岡部

六弥太忠澄の墓とするにはかなり疑問があるといわれているからです。 この点

は不案内ですのでいずれ詳しく触れられたらいいなと思います。

 

 腹ごしらえができ神さんが取りだしたのは鎌倉のお寺や神社の案内本、そうい

えば数年前、神さんの誘いで二三回寺巡りをやったのでした。その時寿福寺に

行ったら丁度虚子の忌日で、関係者以外は入れず 「また来よう」 で終わってい

たのでした、ということで二人で寿福寺へ向かいました。それからの話は明日以

降に。

 一緒にすこし歩いてみて神さんがかなり鎌倉を歩いているなと感じました。 折

角買った案内本を無駄にできない、あてに出来ない亭主より案内本をあてにし

て歩いていたのかも知れません。

 また 「鎌倉ふたり歩き」 を再開しましょう、と密かに思い「つぶやき」にカテゴリ

ーを追加した所以です。


初夢。

2013-01-02 19:20:34 | 詩的なつぶやき

 初夢、歳時記によれば、といっても手にした歳時記によって幾日の夜に

見る夢か違いがあります。山本健吉『基本季語五〇〇選』では「元旦から

二日にかけての夜見る夢を」といい、稲畑汀子『ホトトギス新歳時記』では

「二日の夜から三日の朝にかけて見る夢である」としています。

 古くは曲亭馬琴『俳諧歳時記栞草』では「大晦日の夜より元日の暁に至

るの夢」と記しています。ここでは西行の「年くれぬ春来べしとは思寐のま

さしくみえてかなふ初夢」を引いています。これには「たつはるのあしたよ

みける」と『山家集』の「詞書」がありますので、立春の明け方見る夢をさし

ていたといえます。

 

 初夢を夜みるものとすると、昨日今日の昼時に眠ったときの夢は何?

元日の昼もお寺から戻りかなり眠りました、今日も朝のうちから大風のな

か幟下しやテントの撤去、その後歳旦祭でお神酒が入り帰宅して寝まし

た。 両日とも夢を見ていたのは確かなのですが、吉夢だったのか凶夢

だったのかも定かでないほど。

  初夢のさだかならざるぬくみあり         永方裕子

  覚めてみると冬日が古畳に広がっていました。


「日めくり」の一枚目。

2013-01-01 22:28:24 | 中間詩的つぶやき

 待望の日というのは大げさ過ぎますが、「天地明察 日めくりカレンダー(月

齢)」の一枚目=〔旧暦〕十一月〔霜月〕廿日を開きました。 なにやら商品宣伝

めきますが、「こんなものが欲しかった」ので使う日を楽しみにしてきました。

 もちろん日めくりにも世間一般のカレンダーの今日の日付が2013年1月1日

と印されていますので世間様とのお付き合いに戸惑うことはないでしょう。

 2012年に続き、今年も森山神社の境内で初詣の人々とともに新年を迎えまし

た。 短時間の睡眠のあと朝からの参拝者に 「甘酒をどーぞ、お神酒もあります

よ」と声をかけ、「おめでとう」の挨拶を交わして来ました。

 午後は寺の新年の集まりに出席し、日蓮宗ですので打ち鳴らされる太鼓とと

もに坊さんのお経を聞いて来ました。

 

 一年の最初の日をこのパターンで迎えることはかなり長く続くでしょう、続け

たいものです。 人が神仏によせる思いは神仏が人間の精神活動が生みだし

た「もの」である以上「人によせる思い」に他なりません。

 この一年、「人によせる思い」の「そもそも」の実践と考察を自覚して過ごし

たいと思います。 「kaeruのつぶやき」がその足跡であれば、のこのこ歩き

や飛び跳ねてみたり、水中にもぐり行方不明かと思われたりするでしょう。

 まずは、つぶやき手の自分自身が楽しむこと、ついでに読む人も楽しけれ

ば嬉しいことです、多分本物の蛙もそれで鳴いているのでしょう。