タイトルとしては ? がつくかもしれません。しかし、今日の葬儀に夫婦で参加して実感はこの通りです。それはまず、故人の穏やかな死に顔で、次に奥さんの挨拶の内容、そして妻が同行したことでした。
まず昨夜弔問に出かけることを記したメモを見ていた妻が、葬儀に同行すると言ってくれたことです。亡くなったW氏とは殆んど面識がないのですが、奥さんとは顔見知りでした。妻の顔を見て「二人で来てくれたの」と奥さんが大変喜んでくれました。
それは私たち夫婦にとっても大変よかったと思います。その場で妻の話に「うちのお父さんの時と同じね」と。それは義父の亡くなった時の様子を言います。なんの苦しみもないまさに天寿を全うし終えた寝顔のような顔でした。
葬儀は自宅で行なわれ、無宗教でしたから読経も焼香もありませんでした。(下の写真)
何よりも故人が最期の一年ほど毎日目にしていた緑です。それは私たち夫婦がにわか庭師になり草取りをした場所でもあります。そのことは以前このブログでつぶやいたことがあります、 ⇒ 俄か庭師のこと 2012-07-30 。
ある意味では私達夫婦の「汗」が今日の安らかな顔につながっていたのかも知れません。
奥さんの挨拶も夫の願いを活かしきったという思いに満ちたものでした。
このような葬儀の場を共にすることが、命の共有者としての夫婦の寿命観を共通のものにするでしょう。
そんな思いをいただけたWさん夫婦に感謝します。