日本経済新聞(仙台:全日版)で土曜連載されている「王の綽名」をいつも楽しみに読んでいる。佐藤賢一氏の著書はフランス史を主題とした小説や「ヴァロア朝」や「英仏百年戦争」などの歴史書を私的にもいくつか読んでいる。この新聞連載も欧州の中世初期から時代を下りながら、王の綽名にまつわる話が興味深い。
で、ブルゴーニュ公国の大公たちの綽名は私的に親しんでいるが、「王」では無いので多分無理だろうなぁと思っていたら、何と!本日(11/12付)、シャルル・ル・テメレールが登場
新聞を捲りながらイラストを見て「シャルルに似ているなぁ」と思ったら、 だった(笑)。それも、ルーベンス描く「シャルル・ル・テメレールの肖像」を参照したのがすぐわかる似せ方だったし。
ピーテル・パウル・ルーベンス《シャル・ル・テメレールの肖像》(1618年頃)ウィーン美術史美術館
それにしても、本当に「王国を夢見て猪突猛進」だったル・テメレールであったなぁ。
1488年にマキシミリアンがブルッヘで軟禁されるという事件の直前、ブルッヘのルイ・グリュートフーゼのためにボスが描いた素描があるのですが、鳥の軍隊がハプスブルク、ほ乳類の軍隊がブルゴーニュの旗印で争うということになっています。重税に対するハプスブルクへの反発で、フランドル諸都市はブルゴーニュを擁護していたようです。でも、ブルゴーニュといっても直系はいないのだし、一体誰を擁立しようとしたんですかね。フィリップ善良公の庶子のアントワーヌとかかな。
ル・テメレールの綽名の所以ですよね(^^;
で、ボスにそんな素描があったとは知りませんでした。見てみたいものです。
1487年にはマリーとマクシミリアンとの間にフィリップ美公が生まれています。フランドル諸都市としてはシャルルの後継者としてマリー&フィリップを支持しても、よそ者のマクシミリアンは拒否したいということだったと思います。
マクシミリアン自身も都市側との約束を破ったりしますから、クレーヴ(クレーフェ)のアドルフとフィリップ父子が離反し、諸都市側(&フランス側)に回るということにもなるのですよね(^^;
なるほど、ハプスブルグは双頭の鷲だから鳥なんですねぇ(;'∀')