2004年春のスペイン旅行でデスカルサス・レアレス女子修道院を訪れた。あのカルロス1世(カール5世)の娘で、フェリペ2世の妹ファナ・デ・アウストリア(1535-1573)の設立した修道院である。マドリードの街中に堅固な佇まいを見せていた。
デスカルサス・レアレス女子修道院(マドリード) 入口プレート
ファナ・デ・アウストリア(兄のフェリペ2世と似ている=父カール5世ともね)
修道院内を見学するのにはガイドツァーに参加しなければならない。それも、スペイン人ガイドで、もちろんスペイン語である。日本人の観光コースにはなっていないから、日本人客もいない。スペイン語なんてまるっきり、横文字苦手の私は大ピンチ!
ところが、スペインには神様がいた。いや、アメリカの神様だったのかもしれない。ガイドツァーの出発を待っていると、なんと「日本の方ですか?」と日本語で尋ねられてビックリ! 話しかけてきたのはNYから来たという米国人のおじさん。友人とスペイン旅行をしているという。で、このお友達がなんとスペイン語ができた。ということで、スペイン語のガイドをお友達が英語に訳して、その英語をおじさんが日本語に訳してくれるという、いやはや凄いガイドツァーになったのだった(笑)
修道院壁画(国王家族臨席図)
修道院の窓から。ゆがんでいる1枚は昔のままのガラス。
さて、本題に戻ろう。このデスカルサス・レアレス修道院こそ支倉常長がスペイン国王フェリペ3世から「フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」という洗礼名を授かった「王立洗足会女子修道院附属教会」の修道院だった!という事実を石鍋真澄氏による「ボルゲーゼ美術館展」講演会で知ったのだった(汗)
で、ネットで調べたら…葉城資料展示館(仙台)による「支倉常長の足跡を追う旅」にでてきた。
この記事の中にでてくる「Relics Chapel」は一般公開していないと記述されているが、でも、なんだか見た記憶があるのだ。しかし、附属教会の方は残念ながら記憶に残っていない。一般公開されていないということなのか?それにしても、あの当時知っていたならもっと良く観察できたのに…残念でたまらない。
ちなみに、修道院内にはスペイン・ハプスブルグ王家の家族肖像画が多く見られた。その他にも「えっ、真作?」と目が驚いたスペイン王家好みの画家たちの作品もあったのだが、真作なのか模作なのかはわからない。
ブリューゲル? ティツィアーノ?
デスカルサス・レアレス女子修道院(マドリード) 入口プレート
ファナ・デ・アウストリア(兄のフェリペ2世と似ている=父カール5世ともね)
修道院内を見学するのにはガイドツァーに参加しなければならない。それも、スペイン人ガイドで、もちろんスペイン語である。日本人の観光コースにはなっていないから、日本人客もいない。スペイン語なんてまるっきり、横文字苦手の私は大ピンチ!
ところが、スペインには神様がいた。いや、アメリカの神様だったのかもしれない。ガイドツァーの出発を待っていると、なんと「日本の方ですか?」と日本語で尋ねられてビックリ! 話しかけてきたのはNYから来たという米国人のおじさん。友人とスペイン旅行をしているという。で、このお友達がなんとスペイン語ができた。ということで、スペイン語のガイドをお友達が英語に訳して、その英語をおじさんが日本語に訳してくれるという、いやはや凄いガイドツァーになったのだった(笑)
修道院壁画(国王家族臨席図)
修道院の窓から。ゆがんでいる1枚は昔のままのガラス。
さて、本題に戻ろう。このデスカルサス・レアレス修道院こそ支倉常長がスペイン国王フェリペ3世から「フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」という洗礼名を授かった「王立洗足会女子修道院附属教会」の修道院だった!という事実を石鍋真澄氏による「ボルゲーゼ美術館展」講演会で知ったのだった(汗)
で、ネットで調べたら…葉城資料展示館(仙台)による「支倉常長の足跡を追う旅」にでてきた。
この記事の中にでてくる「Relics Chapel」は一般公開していないと記述されているが、でも、なんだか見た記憶があるのだ。しかし、附属教会の方は残念ながら記憶に残っていない。一般公開されていないということなのか?それにしても、あの当時知っていたならもっと良く観察できたのに…残念でたまらない。
ちなみに、修道院内にはスペイン・ハプスブルグ王家の家族肖像画が多く見られた。その他にも「えっ、真作?」と目が驚いたスペイン王家好みの画家たちの作品もあったのだが、真作なのか模作なのかはわからない。
ブリューゲル? ティツィアーノ?
1回目は昼の休み時間に当たってしまい、ドアが閉ざされていてがっかり。時間を確かめ午後4時からだったか?に再来しました。
案内はスペイン語だけだけれどいいか、と念を押され、当然”yes”と答え、みんなの後についてあの装飾まみれの階段を登りました。もう、圧巻ですよね!
当時の私は歴史など何も知らなかったので、ただただ圧倒されるだけでした。私も「Relics Chapel」は見たような気がします。その後、公開しなくなったのでしょうか?
当時の私はカメラしかなく(デジタルの最初の頃?)、ピンボケの写真ばかりでがっかりした記憶があります。古い建物だし、確かに全体に暗かったので、仕方ないですよね。当時のアルバムは今出にくい場所にあるので、また見つけたら、私もアップしてみますね。
それにしても、支倉常長使節団がここに訪れていたとは!それに、あんな蒔絵のお土産まで持参しての訪問とは、大変な旅だったのでしょうね。ますます彼らの偉業に感心させられます。
さて、Cojicoさんもこの修道院にいらっしゃったのですね!ガイドのスペイン語はフランス語と同じラテン語系だから、私と違ってCojicoさんはきっと大丈夫だったはずです(^_-)-☆
それにしても、確かに装飾まみれの階段でした(笑)。スペインの装飾ってイタリアに比べて濃いような気がします。国民性なのでしょうか?
で、やはりCojicoさんも「Relics Chapel」をご覧になりましたか!昔は公開してましたよねっ。(記憶違いでなくて良かった~、ほっ(^^ゞ
できたら、Cojicoさんが撮られた写真をぜひぜひ拝見したいです。というのも、この修道院ではあまり写真を撮らなくて、記憶も薄くなってきています(涙)。もし、探し出せたら、どうぞよろしくお願いいたします☆
石鍋氏講演会でこの修道院名が出て本当に驚きました。石鍋先生も支倉常長の足跡を辿る旅をされたそうです。慶長遣欧使節の旅は現代の私たちを驚かすとともに、歴史ロマン的な想像力をもかき立てるものがありますよね。