(見えにくいが、画像は逗子市小坪の地図)
私はなるべく都会から離れて家を構えたかったのだ。1988年に海外から東京に戻った時、東京駅からどの方向に何10km行っても延々とごちゃごちゃした風景が続くことに嫌気がした。しかしながら東京にある会社に勤務するため、ぎりぎりのところで妥協した結果が逗子であったのだろう。
でもすぐに我慢出来なくなった。逗子市小坪も良いところだが、もっと「自分の田舎」と呼べる土地を持ちたくなった。もともと私は田舎暮らし志向なのだ。高温多湿が苦手であり、かつ関東平野から遠い場所が好ましかった。いきなりそこから別荘地探しが始まった。逗子市小坪に住み始めた翌年の1990年のことだ。短期間に長野県、山梨県の土地をたくさん見て回ったのである。
しかしそう簡単ではなかった。関東では土地価格が下がり始めたところも多かったようだが、リゾートの地価はまだ上昇しているところが多かった。「良いなぁ」と憧れた八ヶ岳山麓周辺などは地価はまだかなり強い上昇トレンドを辿っていた。ある程度広い土地が欲しい。しかし自宅さえ買うのに苦労したくらいだから、別荘にまわすお金は当然ながらない。坪10万円のリゾート地など当時はザラで、これだと100坪でも1000万円、200坪2000万円、300坪3000万円・・・。都会の人にとっては50坪の土地に建つ一戸建てが「豪邸」になったりすることもあるらしいが、50坪の土地区画がずらっと並びそれ全部に建物が建ったら、そこはもはや別荘地という感じはしなくなる。
あれこれ探してやっと見つけたのが、長野県東筑摩郡麻績村(おみむら)の聖高原の土地である。村が土地を地上権で別荘オーナーに貸す、古くからの別荘地である。オーナーは土地の借地料を村に払う必要があるが、土地に固定資産税はかからない。地上権の借地が、通常の借地(賃借権)と異なる最大のポイントは、土地に抵当権が設定出来る、つまり銀行ローンが楽に借りられるところだ(賃借権では抵当権が設定出来ないので、銀行ローンの利用に困難がともなう場合がある)。
買ったのは200坪で権利金が400万円の土地だった。ただの山の斜面。標高1050m。今から考えると環境、設備、立地、アクセス、傾斜、面積、周囲の樹木、土地の形状等あらゆる面でなんともつまらない土地だったが、当時の私にとっては小さなパラダイスのように見えた。お金をかき集めてその土地を買った。当時は中央高速道は豊科ICまでしかなく、そこから麻績村へは、一般道を小一時間行かねばたどり着けなかった。逗子市小坪の自宅から5時間くらいはかかる場所だったのである。