2つ前のところで英国皇太子の著書を挙げた。日本では見かけることが稀有な本だ。でもアレックス・カーの「美しき日本の残像」なら、すでにお読みの方も多いことと思う。
カーはアメリカ人。平均的な日本人よりもはるかに日本の文化、歴史を知る人だ。日本がその伝統美、建築様式、生活習慣、環境、風景を喪失していることを、カーは嘆き、絶望する。この「美しき日本の残像」でも、彼は現代日本の風景が破壊されていること、全体的調和の無さ、歴史的連続性の無視を批判する。日本の風景にはつき物の電柱も風景の破壊者として批判の対象となっている。まだお読みでない方は、是非どうぞ。
日本では街なかでも住宅街でも、あまりにバラバラな素材、様式、色、スタイル、高さでビルや住宅が建ち、さらにそれが短期間で建て替えられる。加えて看板や設置物に対する規制や自制心もほとんどないため、景色はどこも常に不調和で猥雑に見えてしまう。しかし建物の中に入ると、状況は一転する。個性がないのである。オフィス然り。住宅然り。
日本の住宅内部は、ほとんどがクロス貼りの壁で、蛍光灯で天井から部屋全体を照らすものだ。特定のインテリア・スタイルを意識して、統一感を出すということもなく、あれこれとその時その時に気に入った家具や電化製品や置物を目一杯購入し、それらをバラバラにそのまま並べて、やがて部屋の中にモノが溢れて、なんだかインテリアとしてのスタイルのない散漫な部屋に・・・。カーの憧憬とも言える伝統的な和の生活、風景は簡素な美しさで貫かれていて、現代の日本人のそれとは異なる。カーもそれを嘆く。
状況は欧州だと逆になる。建物の外観は高さ、素材、デザインで、近隣との連続性や一体感が強く意識される。簡単に壊して建て替えられることもないので、長い間に風景がゆっくり馴染んで行く。散歩していても楽しい。しかし建物内部のインテリア・デザインは極めて個性的なことが多い。個性的ながら一定のバランス、統一感があるのだ。
いったい、この違いは何が原因なのだろうか。