昨日は3月18日に事故死した義理の兄の50日祭が世田谷の神道教会所で行われて、
いっしょにお祈りさせてもいただきました。
義理の姉から一人で送った後に連絡があり、故人の意思に従って一人だけで
送ってしまったけれど、心が苦しくてやっぱり、実家と同じ宗教で
お父さんやお母さんのところに魂を返してあげるのがいいと思っているという
連絡をもらい、相談を受けました。
その後何も連絡がないので、気になって仕方なく、4月の末に気になっているところへの
連絡をまとめてしたひとつで、電話をしたところ、近くのお墓を探している
最中につながりました。
神道の先生と相談して一番いい方法を取りましょうということになって
50日祭を5月6日にすることになったということでした。
また一人でするというので、参列させてと話すととても喜ばれていました。
最初に一人でしてしまったので、きちんとできていなかったのでもう人を
よぶことはできないと思っていたということが後からわかりました。
とても悲しんでいた関西の姉も、連休に娘さんがいる東京に来ないということを確認してから
初めて日程をお知らせしたら、仕事を休んで参加するという結果になりました。
私の主人の献花式にも参加してくださいました。
あと一人、法律事務所で一緒に働いていた女性が参列しました。
彼女には前日、彼女が家族を亡くしたときにどうやって克服したかを電話で相談したくて
連絡したら翌日だけど飛んできてくださったとのこと。
紫の無地のきものにグレイの帯をして、神奈川から見えました。
人を呼ぶつもりがなかったので、平服で来てくださいと言われていました。
お友達は毎日新聞の家庭欄の記者もされていたとのことで、今でも仕事やボランティアや
政治活動もされているようでしたが、はっきりとした物言いをする素敵な方でした。
雰囲気ゼペットおばさんそっくりでした。着物は良く着る方でお風呂掃除も和服でしたことが
あるということで、だって昔はみんなそうだったでしょって話されて。
神道の先生のお話で黒住教では死をこうとらえるとお話がありました。
死んではいない ここにいる 祈ればすぐに答えてくれる。
肉体は無くなっても心は生きているという教えです。
彼女は玉串料とか一切受け取りを拒否して、時間があったら家によりませんかということで
途中近くのお蕎麦屋さんで昼食を取ってから20年ぶりくらいにご自宅によらせてもらいました。
兄はデザイン事務所を人に譲ってからは、好きなものを自宅のリビングの一角を作業場にして
作っていたとのことで、突然毎日いた人がいなくなるというのはどんなに衝撃的なことかと
思いました。
家に入ることができなく、外をぐるぐると回って歩いていたこともあったということでした。
まだ、亡くなる前、病院の先生から彼女のことが心配で心療内科を紹介すると言われて
姉は大丈夫と思っていたらしいけれど、亡くなってみるとその時に紹介してもらえばよかったと
話していました。
法要をして、近くにいいお墓が見つかって彼女の心も落ち着きを取り戻しつつあるようでした。
彼が作業していたパソコンやプリンターなど全部前の事務所の人に相談して持って行ってもらったとのこと。
30代で奥さんを亡くしたいとこも奥さんのものは全部捨てて、同じ家にいるのが耐えられなくて
引っ越しまでしていたことを思い出しました。
姉は今はここで暮らしていくと話していました。
大好きなクリムトの絵の飾りが増えていました。私が結婚したての頃、兄夫婦と一緒に
西武のセゾン美術館でやったクリムト展にご一緒したことを思い出しました。
今度、神奈川三崎のお友達のところに一緒に遊びに行こうと話して、前向きに
明るくなってくれればと思いました。
関西の姉にもお知らせして良かったと思いました。娘と関西の姉と友人・・たった4人の参列でしたが
彼女の顔に笑顔が見られてよかった。私ここでも人をつないだよねって自分に言い聞かせました。
お兄さんが作った卵の光が柔らかく灯っていました。