暑い日が続いて、やっと涼しくなった今日。ちょっとバテ気味で年寄りは熱中症になりやすいので
気をつけないといけません。
一昨日行った3件目のバーでかかっていたチェット・ベイカー。もともと昨日チェット・ベイカーの伝記映画を
見に行こうと思っていたけれど、おとといの話が私にとってはとてもショックだったので、何か現実に
戻るのが難しく、昨日はボーっとしていたので、今日イーサン・ホークが見事に演じた
チェット・ベイカーとイーサン・ホークが作った音楽のドキュメンタリーを見に行きました。
ナント二本立て。最初はチェット・ベイカーだけでいいと思っていたのだけど、ピアニストのドキュメンタリーも
おもしろそうなので、頑張りました。
一昨日は久しぶりに男と女の違いを突き付けられた感じでした。最近はもう人間というくくりでしか
見ていなかったけれど、男と女は生理的にもメンタルにもずいぶんと違うものだと今さらながら感じる。
ここまでの話はなかなかできるものではないというか飲みながらでも初めて。でも真実と向き合ういい時間だった。
またしても時間を超えたつながり。その人の苦しい生き方に「100万回生きた猫」を思い出しました。
チェット・ベイカーはJazzも好きだった主人のお気に入りで、私も聴いてすぐ好きになったアーティスト。
ボーカルをよく聴いていたけど、映画を見たらトランペットの曲をたくさん聴きたくなった。
家にも確か何枚かCDがあったはず。
この映画はチェット・ベイカーが栄光からどん底に落ちたところから始まる。
トランぺッターにとって、歯が全部折られてしまうというのは演奏家としてはもう終わりという
ところから、音楽にとりつかれてそこから再び演奏家へと這い上がっていく。
そのためまた麻薬に手を出してしまうけれど、それも音楽のため。Bill Evans も麻薬を
断ちきれなかったことを初めて知る。アメリカの社会も麻薬についてはとても厳しい。感覚的に日本の方が
軽く考えているように思えた。
音楽に対するひたむきさに心打たれる。それにしてもどうしてミュージシャンはこんなに麻薬に
手を出してしまうのだろう。
イーサン・ホークが映画の中で歌う
I've Never Been In Love Before
Chet Baker: I've Never Been In Love Before
Let's get lost
Over the rainbow
映画の中でこの曲がかかった時、泣いてしまった。映画の中の I've never been in love before も
心に触れたが、この曲は私にとって特別な曲。主人が重大な状況で入退院を繰り返し、そのたびに日常生活が
奪われて、あの時はまた東京医大の時代だったけれど入院した後、近くのお店で休憩したときに
この曲が流れて、幸せは虹のかなたでなく、今ここにあったのだということを思い知らされた。そういうことが
何回も繰り返された。
シーモア・バーンスタインの生き方もちょっとだけScott Walker に似ていて商業的なものを
排除し、孤独を好み、大衆の要望には従わない。突然演奏家を引退して、人間を育てることに
自分を賭けた。
自分と音楽とのつながりを考える度、いつも同じ答えに行きつく。普遍的な秩序だ。夜空の星座が
普遍的秩序を目で確認できる証拠ならば、音楽は普遍的秩序を耳で確認できる証拠と言える。
音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は悩み多き世に調和しつつ、
語りかける――孤独や不満をかき消しながら。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底に
ある真理に気づかせてくれる手段なのだ。
ブラームス 「間奏曲イ長調・作品118」
シューマン「幻想曲第3楽章」
シューベルト「幻想曲・変イ長調・D899」
バッハ「パルティータ第6番」
ショパン「ノクターント長調・作品37」、「マズルカ・ハ長調・作品24」、「子守歌」
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第32番・第2楽章」、「6つのバガテル・作品126」
モーツァルト「幻想曲ハ短調・K475」
パンジーの季節も過ぎ
良く咲くスミレがまだ元気です。
一部インパチェスに変えました。
気をつけないといけません。
一昨日行った3件目のバーでかかっていたチェット・ベイカー。もともと昨日チェット・ベイカーの伝記映画を
見に行こうと思っていたけれど、おとといの話が私にとってはとてもショックだったので、何か現実に
戻るのが難しく、昨日はボーっとしていたので、今日イーサン・ホークが見事に演じた
チェット・ベイカーとイーサン・ホークが作った音楽のドキュメンタリーを見に行きました。
ナント二本立て。最初はチェット・ベイカーだけでいいと思っていたのだけど、ピアニストのドキュメンタリーも
おもしろそうなので、頑張りました。
一昨日は久しぶりに男と女の違いを突き付けられた感じでした。最近はもう人間というくくりでしか
見ていなかったけれど、男と女は生理的にもメンタルにもずいぶんと違うものだと今さらながら感じる。
ここまでの話はなかなかできるものではないというか飲みながらでも初めて。でも真実と向き合ういい時間だった。
またしても時間を超えたつながり。その人の苦しい生き方に「100万回生きた猫」を思い出しました。
チェット・ベイカーはJazzも好きだった主人のお気に入りで、私も聴いてすぐ好きになったアーティスト。
ボーカルをよく聴いていたけど、映画を見たらトランペットの曲をたくさん聴きたくなった。
家にも確か何枚かCDがあったはず。
この映画はチェット・ベイカーが栄光からどん底に落ちたところから始まる。
トランぺッターにとって、歯が全部折られてしまうというのは演奏家としてはもう終わりという
ところから、音楽にとりつかれてそこから再び演奏家へと這い上がっていく。
そのためまた麻薬に手を出してしまうけれど、それも音楽のため。Bill Evans も麻薬を
断ちきれなかったことを初めて知る。アメリカの社会も麻薬についてはとても厳しい。感覚的に日本の方が
軽く考えているように思えた。
音楽に対するひたむきさに心打たれる。それにしてもどうしてミュージシャンはこんなに麻薬に
手を出してしまうのだろう。
イーサン・ホークが映画の中で歌う
I've Never Been In Love Before
Chet Baker: I've Never Been In Love Before
Let's get lost
Over the rainbow
映画の中でこの曲がかかった時、泣いてしまった。映画の中の I've never been in love before も
心に触れたが、この曲は私にとって特別な曲。主人が重大な状況で入退院を繰り返し、そのたびに日常生活が
奪われて、あの時はまた東京医大の時代だったけれど入院した後、近くのお店で休憩したときに
この曲が流れて、幸せは虹のかなたでなく、今ここにあったのだということを思い知らされた。そういうことが
何回も繰り返された。
シーモア・バーンスタインの生き方もちょっとだけScott Walker に似ていて商業的なものを
排除し、孤独を好み、大衆の要望には従わない。突然演奏家を引退して、人間を育てることに
自分を賭けた。
自分と音楽とのつながりを考える度、いつも同じ答えに行きつく。普遍的な秩序だ。夜空の星座が
普遍的秩序を目で確認できる証拠ならば、音楽は普遍的秩序を耳で確認できる証拠と言える。
音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は悩み多き世に調和しつつ、
語りかける――孤独や不満をかき消しながら。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底に
ある真理に気づかせてくれる手段なのだ。
ブラームス 「間奏曲イ長調・作品118」
シューマン「幻想曲第3楽章」
シューベルト「幻想曲・変イ長調・D899」
バッハ「パルティータ第6番」
ショパン「ノクターント長調・作品37」、「マズルカ・ハ長調・作品24」、「子守歌」
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第32番・第2楽章」、「6つのバガテル・作品126」
モーツァルト「幻想曲ハ短調・K475」
パンジーの季節も過ぎ
良く咲くスミレがまだ元気です。
一部インパチェスに変えました。