Reflections

時のかけらたち

買い物ついでに玄国寺の庭を楽しむ ・・・ in the garden of Genkokuji

2020-04-14 23:24:30 | wonderland
4月11日

お天気がいい日には食料品の買い物に行くついでに、近くを散歩。
行くスーパーにより、散歩エリアも変わります。
今回は新宿区の歴史を調べたときに、意外と広い玄国寺の写真があったので、中に
入ってみることにしました。諏訪神社より近いので本当に近くにあるお寺です。
昔入ったのは墓地の方だったか全くこんなに大きなお寺があったなんて気づきませんでした。
私のフィールドワークの1は自然で2は歴史かな? 最近興味を持ったのは家から
歩いて行く範囲に江戸時代の大名屋敷の跡。 とにかく東京には歴史的建造物が少なくて
と思っていました。空襲で焼けちゃったというのもあるのかとにかく魅力的なものがないと
思っていましたが、ぽつぽつとありますね。コロナが終息したら、新宿区の歴史博物館にでも
行ってみようかと思います。

玄国寺は諏訪神社の隣に在りますが、以前お墓の方だけ行ってみたことがあったような気がします。
玄国寺は諏訪神社の別当寺だったとのことです。
HP 寺社 in Tokyo に 玄国寺|庭が美しく落ち着いた雰囲気が魅力
をみつけて、行ってみようかと思い買い物はその近くのスーパーを選びました。

玄国寺の概要
山号  龍池山
院号  上珠院
宗派  真言宗豊山派
豊島八十八ヶ所霊場72番
御本尊  三弁火焔の阿弥陀如来  東大寺の大仏建立の立役者である行基の作。別名「こころみの阿弥陀」 
創諸仏 弁財天・地蔵尊
建年   慶長六年(1601)
開基   盛源法印

その他
田植地蔵(墓所の中 石の地蔵尊を祭る堂に)
 田植え時期になると、この地蔵が旅僧の姿になって田植えを手伝ったところからこう呼ばれるようになる。
庫裡 明治の元勲岩倉具視の旧邸の一部を移築したもの。洋風建築を和風に改造。鬼瓦に笹りんどうの紋章(岩倉邸)
   この庫裡の南側に中庭があり、小池を中心に石組の庭園がある。
山門・六角弁天堂・鐘楼堂は平成22年檀信徒の池田家によって復興、寄進 
本殿 山門の正面に本殿があり、この裏側に奥庭がある。


中に入るとなぜか外国人が二人、庭を見ていました。他には花に水をやっているお寺の人がいただけでした。
門を入った奥にこんなに大きな本堂があるなんて思ってもみませんでした。





















本堂



六角弁天堂


















六角弁天堂










中庭?






本堂の上から


















岩倉具視邸を和に改築して庫裡として使ったという・・










庫裡






















境内碑文による玄国寺の縁起

旧くは中野宝仙寺の末寺であったが、元禄九年音羽護国寺の末寺となる。龍池院と号すること古くは大寺にて境内広く
南方の尾陽公戸山屋敷より北方土屋氏の屋敷までひとつづきなる大なる池あるが故に龍池山と号す。
草創は承和年中(834-847)真雅僧正再営の説あり。慶長六年(1601)頃現在地に創建され、延宝年中、法印盛源中興し、
世々諏訪神社の別当を兼ねていた。
本尊は「三弁火焔の阿弥陀如来」、座像にて三尺余、行基菩薩の作、別に名付けて「こころみの阿弥陀」とも称す。
武蔵風土記に「寺宝一顆あり。安産與楽の玉と称す。北条遠江守時政の子相模守義時の妻難産のおり江の島弁財天に参籠
して感得し、その加護によって安産あり。また、その玉、密々御本丸に用としてしばしば奉る。縁ありて当寺に寄附される。」
境内墓地に隣接して「土屋地蔵尊」あり。源兵衛村土屋薩摩守氏(旗本2700石)下屋敷の井戸より出現した石像で別名
「田植え地蔵尊」とも言う。種々の願いを叶え、霊験あらたかなる故に堂宇を建立す。
「江戸名所図会」(天保年間刊行)によれば、このあたり諏訪谷村と呼ばれ、諏訪神社並びに別当玄国寺ありてその境内
には鐘楼堂、地蔵堂、聖天堂などがあった。(境内碑文より)

参考)
玄国寺は都会の隠れ癒しスポット。移築された岩倉具視旧邸を見よう



家の近くにこんなに落ち着く場所があったなんて驚きです。

April 11  2020   Takatanobaba
コメント (4)
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