京都初日の原谷苑の桜を楽しんだ後は、山あいの道を仁和寺に向かいました。途中反対側からバイクが数台通っただけで、道を聞く人もいなくて少し心配になりましたが、ほかに道もないので、信じて進みました。やっと反対側から人が来たときはもう少しですよと言われてほっとしました。
想像以上の山の中、歩いている人もあまりいなくて、車もほとんど通りません。ハイキングコースのようでした。
仁和寺に近づくと宇多天皇大内山稜参道の案内が出ていました。
途中近道で降りた階段(タクシーの運転手さんに聞いたショートカットです)は朽ち果てたような階段でしたが、こちらは最近整備されたのでしょうか・・・
町が見えてきました。最初は龍安寺の芭蕉図を見てお庭を見ながら湯豆腐を食べようかと思ったのですが、仁和寺からまた少し歩かなければならないのであきらめて仁和寺の金堂・五重塔の特別公開を見て、とようけ茶屋まで行って湯葉のランチに計画を変更。午後に娘が見たがっていた三十三間堂か六波羅蜜寺まで入れる計画だったので効率よく回れる方にしました。一泊二日ではやっぱりタイトになってしまいます。
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となります。以降、皇室出身者が仁和寺の代々住職(門跡)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。そのような中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移され、法燈とともに伝えられていきました。
応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、ようやく再興の機会が訪れます。『仁和寺御伝』によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。
さらには慶長度の御所造替とも重なり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来たのです。
仁和寺HPより
仁和寺と言えば御室桜くらいしか知らなかったのですが、世界遺産になっているこのお寺は格式高いお寺だったのですね。
他のところは見ないで、特別公開の金堂の方へ向かいました。見学は事前申し込み方式になっているのですが、あきがあれば入ることができます。移動の時間が読めないので、今回事前予約性のところが多かったのですが、早く行って当日参加の方法を他でも取りました。
仁和寺創建当時の本尊、阿弥陀三尊像(国宝)等が祀られていますが、柱に描かれている彩色画が色が少し残っていて素晴らしかったです。私は静かなたたずまいの仏様が好きなのですが、今回は翌日に平等院と王道といった感じの仏像が続きます。
山桜
仁和寺の五重塔はチャーミングな感じがします。御室桜と五重塔が最高の組み合わせなのですが・・・
特別公開で中をぐるりと外から回ってみることができました。やはり色あせた柱に描かれた絵が素敵でした。
御室桜のつぼみが膨らんで、今にも開きそうでした。
御室桜はもともと間に合う日程でなかったので、咲いていなくてもがっかりはしませんでした。いつか咲く時期に来たいと思っています。他にもいろいろ桜が咲いていたので、カメラを向けました。
仁和寺の山門の前のバス停で待っていたら、JRバスとか市バスとかいろいろ入ってくるので訳が分からなくなっていたら、地元の老婦人が話しかけてきてくれました。とようけ茶屋に行くので北野天満宮までバスに乗ると話したら、京都はお豆腐はどこでもおいしいから私たちはそこまでわざわざ行かないと話していました。仁和寺の裏に住んでいるとのことでした。京都はさすがお豆腐がおいしい町ですね。
March 27 2021 Ninnaji, Kyoto