大げさですが、事前にインフォームド・コンセントで合併症とか万が一のことばかり女医さんが説明するので、ちょっと
覚悟してしまいました。血管の中を管が通るので何が起こるかわからないと思って。
11日
行きに見たハナミズキ 時計ははずして宮古島で買った青珊瑚のブレスで
朝9:30までに病院に行って、入院手続きを行って、パジャマ類のレンタルを完了して、入院階のデイルームで待ちます。
スタッフテーションで到着を連絡した時にお部屋の連絡があり、希望の無料の部屋は空きがなく下から2番目のお部屋に
なり、無料の部屋が空き次第移動の希望を伝えました。
デイルームでは看護士さんが来て、持ってきた薬などの確認をして部屋に案内してもらいました。
少しいいお部屋で居心地はよかったです。初日は入院直前で検査を済ませているので、入院手続きが済めば
ゆったり過ごすことができます。パジャマに着替える必要もないので、そのまま本を読んだりしていましたが、
大学病院なので研究への協力を依頼されてモニターをつけたり、医学部学生の臨床実習への協力をしました。
まだ6年生という将来のお医者さんの質問を受けたりして入院患者の義務を果たしました。
部屋は13階
担当グループの女医さんが来て、手術について説明があったのですが、危険なことだけのお話が多くまぁ想像していた
通りでした。娘にも話しておきたいということで、何度も娘の携帯に電話をしてくれたようです。仕事の日だし、今病院
では家族でも面会できない状況なので、そういう説明もなしかと思いましたが、治療については家族にも話すようでした。
その後主治医の先生が部屋に来て翌日の手術のことを話してくれました。先生は外来で行って即入院を決めてくれた中堅の
先生ではなく同じグループの若い先生でした。私が少し心配になってきたと言ったら、成功率の高い手術なので心配しないで
今日はゆったりと過ごしてくださいと話して去って行きました。痛いのは最初の動脈に針を入れる時だけと教えてくれました。
とてもさわやかで癒された感じでした。
夕方にシャワーを浴びてイタリア語のラジオ放送を聞いて、「時のあわいに」の写真を見て今手持ちのもののコーディネートの
参考になりました。好きな感じの着物が多くてため息が出てしまいます。
いいお部屋だったのでTVと冷蔵庫は無料でした。ニュースを見て、たまたまやっていたクローズアップ現代「人間っておもしろい
藤子不二雄A 未公開映像で迫る“漫画人生”」を少し見ました。あまり漫画を読まないのでその奥の深さに驚きました。
人間の心の闇を描く作家だったのですね。もう一度NHKプラスで見てみよう・・・
それでも9時に消灯なのですぐ寝てしまいました。枕が合わなくて翌日は首が痛くなってしまいました。
インドのショールが役に立ちました。裏と表が違っていてかわいい。
13日
無料のお部屋が空いたとのことだったので、そちらに移動しました。有料の部屋も居心地がよかったのですが、治療中はどこでも同じだし
TV見るような感じでもないからいいかと思いました。
手術当日は、午後からの順番なので昼食は抜きで早めに左手に点滴を始めました。午後の時間は午後1番というだけで、それぞれの手術が
終わり次第となるので予想がつかないとのことでした。私以外はひどい状態ではないので時間がオーバーすることはないだろうという予測
だけでした。普通カテーテル手術は負担が大きいので2回に分けるとのことです。緊急性のある場合は検査後すぐ治療を開始します。
私の場合は完全に後者のようでした。
点滴をするのに若い看護士さんがうまくできなくて2度も失敗して、とうとう先輩に変わってくれました。ベテランってすごい。全く痛く
なくて、失敗の跡は青く内出血をしてしまっています。私は血管がわかりにくくて、点滴にはいつも苦労していたことを思い出しました。
左手の点滴は何か手術中に起きた時にすぐ対応できるよう確保しておくためのようです。
手術の前はもし何か起こったらとか考えてしまっていましたが、読みかけだった須賀敦子さんの本を読み始めたり、ホセ・カレーラスの
ベルリン・コンサートをスマホのYouTube で聴いていたらすごく心が落ち着きました。不思議なくらい静かな気持ちになりました。
看護士さんにもしかして点滴に安定剤が入っているの?と聞いたら笑われて、そう思っていた方がいいかもしれませんねと言われました。
午後2時に手術室に呼ばれましたが、痛み止めのシールを貼り、尿の管を入れておむつまで・・気持ち悪いなんて言っていられません。
手術の行われる血管撮影室への移動は車椅子でした。次から次へと患者さんが運ばれ、手術はそれぞれのチームで行われているようでした。
若い先生たちが多くたくさんの人たちがテキパキ働いているのに驚きました。手術台に上がったら全身消毒されて驚きました。もし手から
カテーテルがうまく進まなかったら足から入れるためだと思いました。手に痛み止めの注射が打たれ痛かったですが、点滴の失敗も痛かった
ので同じくらいだったかも。その後いつカテーテルのための痛い針が打たれるのかと思ったら、その後は何も感ぜず、なにやらもう始まって
いるようでした。何回も息を止めて画像を撮られてOCRで行くという声が聞こえて、その後は何気圧で何秒という指示が何回も繰り返され
血管の中に圧力をかけて操作しているようでした。23mmのステントが入りました。無事終わって、右手の動脈の止血の結束がものすごく
痛くて。ここから出血すると交通事故の現場みたいになってしまうとのことでその後の緩め方など気を遣うところのようでした。
何が何だかわからないうちに始まり、終わりました。 4時頃車椅子に戻り、迎えに来てもらうのを待ちました。治療もすると2時間半くらい
ということだったので大体予定通りでした。
夕方部屋に戻り、手首も痛く、点滴をしたままで一晩過ごさなくてはならなくてただじっと横たわっていました。右手は絶対に使っては
いけないということで左手で食事もとりました。手首の圧迫器具を少しずつ緩めて行きました。術後はただただひたすら眠っていました。
いつも睡眠時間は4~5時間だったので、こんなに眠ることはありませんでした。
14日
手術の翌日の朝、衝撃的な写真を女医さんが持ってきてくれました。私が以前CTで見て驚いた写真とほぼ同じでした。ほとんど途切れていた血管
とステントが入りきれいに流れがつながっている血管の写真です。その後主治医の先生が来てくれて、今後の注意事項など説明がありました。
やっぱりコレステロール値が高いので食生活を気を付けるようにとのことでした。今まであまり言われていなかったので気にしていなかったのですが、
値としては高かったと思うと言われてしまいました。血栓は脂質でした。ステントで血管を広げたので血管を広げる薬は飲まなくて良くなりましたが、
今後は血液をサラサラにする薬とコレステロール値を下げる薬を降圧剤とともに飲まなくてはならなくなりました。手術もよくわからなかったので教えて
もらったら、最初に部分麻酔をしたところから管を入れて行ったとのことでした。気圧は血管の中に入れたバルーンを膨らませて血管を広げるための
指示でした。
旅行にも行けそうですが、しばらく用心して過ごそうかと思います。
カテーテルを入れた跡 娘が買ってきてくれたニトリのスリッパ
お昼前に点滴も外して心電図を撮りに行き、部屋で血液検査もしました。やっとシャワーも浴びることができました。
TVカードを買ってまでTVを見る気がしなかったので、須賀敦子さんの本を再び読み始めましたが、本当に素晴らしくて。言葉の芸術ってこういうこと
なのですね。とにかく文章が素晴らしくて、その内容の深さも心に刺さります。エッセイでありながら小説のようでもあり何よりも美しい日本語と
その流れの展開がひとつの芸術作品です。視覚的にも素晴らしくいきなり大阪の人形浄瑠璃の世界が広がるところなど見事でした。
特に心に残るのはイタリアのゲットーをめぐる旅です。今のウクライナでの非人道的な戦争にも共通しますが、人間が人間に対してできることへの
悲しみがその歴史の地をたどって伝わってきます。「地図のない道」は時代を超えて、時に謎解きのように展開していきます。
どこかで福島伸一がこの本について書いていたのですが、アエラだったか婦人之友だったか覚えていません。ネットで探したら、NHKBS2『私の一冊
日本の100冊』で、福岡伸一(生物学者・青山学院大学教授) による私の一冊で須賀敦子著「地図のない道」をあげていたことを知りました。
「須賀敦子さんの文章は、非常に美しく、そこに秩序というか、建築のような構造があり、自然界の美に通ずるところがある。それがゆらぎながら、
いろんな情念を醸し出していて、そういうところに強く惹かれた。」と本に対する思いを語っていたとの記録を見ました。
15日
術後1日様子を見て、その次の日が退院でした。9時半までに荷物を片付けてデイルームで待ち、お薬とか注意事項とかの説明が看護士さんや薬剤師から
ありました。入院と退院で人が多く、順番が来るまでずいぶん時間がかかりました。同室の方が昨日足からカテーテルを入れた手術をしていましたが
4時間以上かかり、戻って来てからも足の方がいたそうでした。そのうえ翌日退院と言われていてもう1日いたいと看護士さんに話していました。その方は
不整脈とのことでしたが、心臓病は重い病気の方も多く最初の部屋の向かい側にいた方はもう1か月も入院してると話していました。昔と違って4人部屋
でも同室の人たちとの交流もなくそれぞれ病気もひどいようで見舞客で賑わっていた昔の病院とは違って、お見舞いのお菓子を周りに配ったりすることも
なく、治療に専念できていいように思いました。今ではスマホでも顔を見て話せるので寂しくないようですね。
ディルームで最後の手続きを看護士さんとするまでは時間がずいぶんかかりましたが、下の会計ではもうカードを入れるだけで支払えるようになって
いました。そのあと地下でレンタルパジャマの支払いを済ませてすべて完了です。11時半になっていましたが、入院してからずっとカフェイン禁止で
したので、どうしてもコーヒーが飲みたくなり、病院の最上階でホテル・オークラがやっているレストランに行ってみました。雨が降り、気温が来る
ときは半袖のTシャツにカーデガンだったのをセーターにカーデガンでも寒くその上にショールをはおっていても寒い気候になっていました。晴れていたら
近くの整形外科に診断書を取ってから帰るつもりで高山珈琲に行きたかったのですが・・やっぱりずっと寝ていたので重たい荷物を持って歩くのは
無理のようでした。雨も降って荷物もあったので帰りはタクシーと決心して、オークラでサンドイッチとコーヒーを飲んで帰りました。さすがホテルが
やっているのでコーヒーのおかわりができるか聞いたらOKでした。昔主人が通院していた時によく行った眺めのいいレストランです。
エレベーターホールにいてもレストランにいても主人が近くにいるような感じでした。
持って行った本は表紙が国展で見たお気に入りの古澤万千子さんの布が表紙の着物の本と須賀敦子、NHKラジオのイタリア語テキスト
帰ったら娘が夕食を作ってくれました。ありがとう。娘や妹や友達・・多くの方にご心配をかけてしまいました。
突然の入院でキャンセルしてご迷惑をかけてしまったり、多くの励ましの言葉をいただいて感謝の気持ちでいっぱいです。
医学の進歩にも驚くばかりですが、近くの家庭医の先生が心配してくださり、大学病院のフットワークの軽さにも
驚いています。
術後は血圧がけっこう上がっていて、微熱も続いていますが、呼吸は楽な気がします。女医さんも5月初めの
旅行は大丈夫とおっしゃるのですが、最初に入院を決めた先生は5月終わりならいいけどとおっしゃったので宿泊は
キャンセルしましたが玉三郎のチケットはまだチケット流通センターに依頼していますが売れていません。様子を見て
行きたい気持ちもありますが、少し用心して過ごした方がいいのかなと思っています。