碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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ギャラクシー賞「大賞」受賞記念 ドラマ「あまちゃん」研究 序説 短期集中連載 第4回

2014年06月09日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

第51回ギャラクシー賞「大賞」受賞を記念して、「あまちゃん」に関する考察を短期集中連載しています。


第51回ギャラクシー賞「大賞」受賞記念

ドラマ「あまちゃん」研究 序説 
~なぜ視聴者に支持されたのか~
短期集中連載 第4回



③ ナレーション
このドラマでナレーションをしていたのは、母娘3代のヒロインである。夏が2011年の震災までを担当し、震災から終盤までを春子、そして最後はアキへとバトンタッチされた。中でも夏のナレーションは、これまでにない斬新なものだった。

朝の忙しい時間帯に放送するドラマのため、制作側は「ながら視聴」に対応するべく、ナレーションで物語を解説するのが一般的である。音だけでも見る人が物語についていけるように牽引するのが目的だが、夏の語りは従来のそれとは一線を画している。

朝ドラでは、局のアナウンサーが第三者的な“神の視点”で展開を補足する客観的なナレーションか、あるいはドラマの登場人物が回想としてナビゲートする、そのどちらかのパターンが踏襲されてきた。

後者の場合、話し手が見聞きして感じたことは語れても、他者の感情は表現しないのが一種の決まりごとである。ところがこのドラマでは、夏が自分以外の登場人物の気持ちも代弁するという型破りの語りが多く見受けられた。夏が、いわば神も役柄も超えた存在になっていたのだ。

たとえば、アキが憧れの先輩との交際を妄想するシーン。夢の中で彼から告白される様子が描かれていたのだが、視聴者の心理を逆手にとるかのように、夏はナレーションで「もう先に言っちゃいますけど、これは夢です。いまさらびっくりしないと思いますが」とあえて説明し、笑いを誘った。

ひとつ間違えれば、「でしゃばり過ぎ」と視聴者が違和感や不快感を抱く危険かつ挑戦的な技である。そう感じさせないのは、物語にナレーションを有機的に取り込んだ宮藤官九郎の脚本と宮本信子という女優の語りの力だ。


④ 葛藤
多くの小津安二郎監督作品の脚本を、小津との共同で手がけてきた脚本家・野田高梧は、映画やドラマに限らず、すべて物語の形で語られる説話形式のものには、次のような原型があるという。

誰が、または何が――主体・・・・性格
何を、いかに――――事件・・・・行為
いつ、何処で――――背景・・・・環境
     (野田『シナリオ構造論』)

野田によれば、性格、行為、環境の3つの条件が整わないと、いかなる物語も成り立たない。「あまちゃん」にもこの3条件がそろっているが、まだそれだけでは見る人を惹き付けるドラマたり得ない。重要なのは「葛藤」である。

葛藤とは何か。「広辞苑 第六版」には、「葛藤=いざこざ、悶着、争い。心の中に、それぞれ違った方向、あるいは相反する方向の欲求や考えがあって、その選択に迷う状態」とある。

ドラマ、映画、演劇、さらにゲームにいたるまで、葛藤は物語を推進させる重要な要素であり、人間を本性まで立体的に見せる方法であるともいえる。それが犯罪映画であれ恋愛ドラマであれ、克服すべき葛藤、乗り越えるべき壁を持った登場人物がいなくては物語が展開しないのだ。

演劇学者の河竹登志夫によれば、「人間と他の何物か――運命、神、境遇、社会悪、他の人間、自分自身のうちにひそむ相反する性情など――との矛盾・対立が次第に表面にあらわれ、ぶつかり合いながら次々に行為を生み、一つの結末にいたる過程が劇的行為である」(河竹『演劇概論』)。

この矛盾・対立がまさに葛藤であり、「もつれ」や「いざこざ」によって、一人の人間の心の内で複数の思いがぶつかり合うのである。

「あまちゃん」のトリプルヒロイン3人は、それぞれの葛藤を抱えている。当初、アキは東京の学校にも、家庭(両親は離婚寸前)にも自分の居場所がない。将来についても何の希望も展望も持っていない。

また、春子は若き日の挫折を引きずっている。母親の反対を押し切り、家出してまで挑んだアイドルへの夢に破れ、その夢を封印して守ってきた家庭も崩壊へと向かっている。何より、胸の内には24年前に自分を本気で引き留めてくれなかった(と彼女は信じ込んでいる)母親への恨みと疑念が潜んでいる。

そして夏にも、やはり24年前の娘との別れ方と、その間、音信不通のままにしていた自分を責める気持ちがある。また長年続けてきた海女の仕事の年齢的限界からくる不安や、後継者を持たない悲しみからも逃れられないでいた。

さらに、「あまちゃん」の物語世界を動かしているのは、こうしたヒロインたちの内なる葛藤だけではない。主な舞台となる北三陸という地域がもつ葛藤もあるのだ。

それは完全な過疎化であり、住民の高齢化であり、シャッター商店街に代表される経済的低迷である。つまり、やがて震災や津波に遭遇するこの地域は、すでにそれ以前から「あまり希望の持てない場所」と見られつつあった。

登場人物たちの「内側の葛藤」と、彼らが暮らす地域という「外側(環境)の葛藤」、その両方が「あまちゃん」というドラマを推進させるエンジンとなっているのだ。

(連載第5回に続く)


クリスティーを再読したくなる、『アガサ・クリスティー完全攻略』

2014年06月09日 | 書評した本たち

こういう本の出版は嬉しい。

霜月 蒼『アガサ・クリスティー完全攻略』(講談社)だ。

“ミステリーの女王”クリスティーの全99作品を評論している。

ポアロの長編が、「スタイルズ荘の殺人」から「カーテン」まで33作品。

「牧師館の殺人」に始まるミス・マープルのそれが、「スリーピング・マーダー」までで12作品。

他に、トミー&タペスンの長編や、短編、戯曲など、とにかくぜ~んぶが並ぶ。壮観だ。

個人的にも、クリスティーには思い入れがある。

何しろ、大学卒業後、早川書房に入社した私なので(笑)。

本の構成は、それぞれの作品に関して短い「おはなし(あらすじ)」と論評。

「古典としてでなく、いまここにある新作として読み、評する」という著者の方針がいい。

未読作品をとばしながら、既読のものを読む。

でも、やはり再読したくなりました(笑)。



今週の「読んで書評を書いた本」は次の通りです。

小池真理子 『ソナチネ』 文藝春秋

貫井徳郎 『私に似た人』 朝日新聞出版

萱野稔人:編『現在知2 日本とは何か』 NHK出版

ワード:編著 『京都男子 とっておきの町あるき』 平凡社

草森紳一 『その先は永代橋』 幻戯書房

村上陽一郎『エリートたちの読書会』 毎日新聞社


* これらの書評は、
  発売中の『週刊新潮』(6月12日号)
  読書欄に掲載されています。