この12年間、ほぼ1日1冊のペースで本を読み、毎週、雑誌に
書評を書くという、修行僧のような(笑)生活を続けています。
今年の上半期(1月から6月)に「読んで書評を書いた本」の中から、
オトナの男にオススメしたいものを選んでみました。
今回は、その「パート4」。
閲覧していただき、一冊でも、気になる本が見つかれば幸いです。
2014年上半期
「オトナの男」にオススメの本
(その4)
小路幸也 『スタンダップダブル!甲子園ステージ』
角川春樹事務所
痛快かつハートフルな高校野球小説の秀作『スタンダップダブル!』の続編だ。前作で地区大会を勝ち抜いた北海道・旭川の神別高校野球部が、ついに夏の甲子園に登場する。
このチームには秘密があった。センターを守る青山健一の見事な守備だ。ピッチャーで双子の康一が投げるのと同時に、ボールの落下点に向かって走り出している。なぜそんなことが出来るのか。また、選手たちには甲子園で絶対に優勝しなくてはならない事情がある。それもまた極秘だ。
かつての甲子園球児で監督の田村。チームを彼に託した山路。秘密を知る女性新聞記者の絵里。白熱する甲子園での戦いの裏で、3人は野球部の内幕を暴こうとするフリーライターの塩崎と対峙していく。
臨場感に満ちた試合と細やかな人間ドラマ。前作を上回る出色の物語展開だ。
門田隆将
『記者たちは海に向かった~津波と放射能と福島民友新聞』
角川書店
東日本大震災から3年。しかし、家族や親しい人を失った悲しみは消えるわけではない。また生き残ったことに罪悪感を覚える人も多い。本書はある地元新聞記者の死と、新聞人たちの苦闘を描いた力作ノンフィクションである。
彼の名は熊田由貴夫。24歳の福島民友新聞記者だった。地震発生直後、海岸部の取材に出て津波に襲われてしまう。しかし、その直前に地元の人の命を救っていたことが判明する。
当事者たちの実名証言で明らかになるのは、自身も地震・津波・放射能汚染の被害に遭いながら報道を続けた記者たちの執念であり、他者を助けられなかったことを悔やむ心情である。
社屋もまた大きなダメージを受けた。発行中断は回避できたが、その過程で地元紙の存在意義が問われていく。3年後だからこそ書けた貴重なドキュメントだ。
加島祥造 『アー・ユー・フリー?』 小学館
現在91歳になる著者が、信州・伊那谷に移り住んでからの25年間に行った講演のセレクト集だ。「よりよく生きるということは、自分に正直に生きることだ」といった言葉を含む100話が並ぶ。全てに共通しているのは「自由」への思い。老子をひも解きたくなる。
上野千鶴子 『映画から見える世界』 第三書館
ジェンダー研究の第一人者による初の映画評論集。対象は単館系の佳作が多い。「この女の生き方を見よ」「戦争の現実」など8つのカテゴリーが観客を誘う。『ディア・ドクター』を評価しながら、「人生にオチはない」とラストを批判することも忘れていない。
沢野ひとし 『北京食堂の夕暮れ』 本の雑誌社
「本の雑誌」の連載エッセイ3年分が1冊になった。著者が通いつめる北京。語られるお粥や麻婆豆腐も美味そうだが、頻繁に登場する中国人の知り合い、宋丹さんが魅力的だ。彼に導かれて歩く紫禁城や路地裏の風景が目に浮かぶ。独特の画風のスケッチも満載だ。
辻原 登 『寂しい丘で狩りをする』 講談社
追う者と追われる者。追う者をさらに追う者。芥川賞作家による、異色のクライム・サスペンスである。
2人の女性が登場する、ダブルヒロインとも言える物語だ。その1人、野添敦子は映画のフィルムエディター。見知らぬ男によってレイプされた過去をもつ。その犯人・押本が刑期を終えて戻ってくる。しかも、彼の頭の中にあるのは敦子への復讐だけだった。
もう1人は女性探偵の桑村みどりだ。敦子の依頼で押本を尾行する日々が続く。しかし、みどりもまた不安を抱えていた。かつての交際相手である久我の執着と暴力だ。逃げるように転居するが、久我は諦めない。
敦子とみどり。身の危険を感じるまでに追い詰められた2人は逆襲を企てる。じりじりと息詰まるような追跡劇の果てに、「人生を取り戻す」ための総力戦が開始される。
永江 朗 『おじさんの哲学』 原書房
タイトルは「おじさん」だが、本文では「叔父さん(父や母の弟)」である。「父」ほど権威主義的かつ抑圧的ではなく、「兄」より経験が豊富な分だけ大人のアドバイスが得られる。
本書に登場するのは常識にとらわれない叔父さん・内田樹。目利きとして信頼できる叔父さん・高橋源一郎。啓蒙の人である叔父さん・橋本治など20名余り。元気な団塊の世代から、いまは亡き植草甚一、山口瞳、伊丹十三、天野祐吉までがずらりと並ぶ。
時に反発しながらも彼らのどこに魅かれ、何を学び、いかにして自分の中に取り込んできたのか。平易な語り口で先達たちの思想と生き方のポイントを提示していくが、一貫しているのはその「ツラの皮の厚さ」や「図太さ」を肯定していることだ。重箱の隅をつつくネット時代だからこそ、叔父さんたちはより輝く。
柏木 博 『日記で読む文豪の部屋』 白水社
著者によれば「部屋はそこに住まう人の痕跡」である。本書では7人の文人の日記から「部屋」の意味を読解する。趣味の精神的空間として愛した漱石。過去を夢見る場所だった百。また啄木は安住の部屋を求めて彷徨した。住まいという視点からの作家論でもある。
妙木 忍 『秘宝館という文化装置』 青弓社
「おとなの遊艶地」とは言い得て妙である。かつて全国の温泉地で見かけた秘宝館は、一体何だったのか。著者は北海道大学の研究者。フィールドワークとして各地を訪ね、関係者から聞き取りを行い、「身体の観光化」の実相に迫っている。もちろん堂々の研究書だ。
大橋巨泉 『それでも僕は前を向く』 集英社新書
本書は成功者の自慢話でも、美化された回想記でもない。昨年末、2度目のガン発見に遭遇しながら、「今を生きている」先輩からのメッセージだ。運には総量があり、どこで使うかの見極めが大事。何かやりたい時は自分の金で。「やりたいこと」のうちの「できること」を一生懸命やる。
こうした「人生のスタンダード」の多くを、著者は父から学んだ。いわば血肉としての哲学が、仕事や私生活でどう生かされてきたのか。無名時代から現在までの具体的エピソードで語っている。読めば元気が出る、明るい“遺言書”だ。
伊集院 静 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』
集英社
主人公の名はユウジだ。妻の死後、心に鬱屈を抱え、各地のギャンブル場を転戦する姿が作者と重なる。他者とは狎れないユウジだが、気を許せる男が3人いた。
エイジはスポーツ新聞の競輪担当記者。人を信頼すると何もかも気を許してしまう男だ。舎弟のように「ユウさん」と呼びかける人懐っこさの一方で、重たい過去を引きずっている。
三村は芸能プロダクションの社長だ。ユウジの亡くなった妻は女優(著者の先妻は夏目雅子)であり、生前に交流があった。芸能界という荒海を必死で泳ぎ切ろうとしている。
そして3人目が編集者の小暮だった。「小説は書かない」と言うユウジに、必ず書かせると食い下がる。その強引さと文学への確信は尋常ではない。いずれも愛すべき愚者たちであり、彼らとの友情と惜別を描いた自伝的長編小説だ。
文藝春秋:編 『直木賞受賞エッセイ集成』 文藝春秋
今年、150回を迎えた直木賞。受賞者は姫野カオルコ、朝井まかての両氏だった。第1回は昭和10年の川口松太郎であり、これまで膨大な数のエンタテイメント作家を輩出してきた。
本書には、過去13年間の受賞者36人による受賞直後のロングエッセイとインタビューが収録されている。一気に渦中の人となるタイミングで書かれた文章には、どこか作家たちの素顔が見え隠れしていて興味深い。「私は父を通して、この世界は物語で出来ていること、その中で、語るに足る物語はほんのひと握りであることを知った。そして脅えた」と書くのは井上荒野だ。
また重松清は「早稲田文学」との出会いを綴り、東野圭吾は刺激的なゲームとしての直木賞を語る。小学校5年生で書いた初めての小説を回想するのは道尾秀介だ。ありそうでなかった一冊である。
萱野稔人:編 『現在知Vol.2 日本とは何か』 NHK出版
日本社会は本当に「集団主義的」で「中央集権的」なのか。本書はその疑問を出発点に、政治から地理まで多角的なアプローチでこの国の実相に迫っている。専門家たちの論考はもちろん、社会学者・橋爪大三郎などを交えた座談会の話し言葉による議論も有効だ。
新津きよみ 『最後の晩餐』 角川ホラー文庫
表題作の主人公・敏子は、中学時代の恩師が開いた個展を訪れる。そのまま会食に招かれるが、参加者は恩師の同級生ばかりだ。彼らの会話を聞く敏子の中で、違和感と疑問が広がっていく。女と男と食が交差する心理ホラーが7編。文庫オリジナルの短編集だ。
高槻真樹 『戦前日本 SF映画創世記』 河出書房新社
「ゴジラ」は突然生まれたわけではない。戦前の忍術・怪談映画が特撮技術を発達させたからだ。また当時の前衛作品はSFに近く、その第一号が衣笠貞之助監督「狂った一頁」である。隠れた文献や映像を発掘し、日本映画史に新たな視点を導入した労作評論だ。
洋泉社MOOK 『カメラがとらえた昭和巨人伝』 洋泉社
昭和という時代を彩った人物たちが、映画監督・俳優、作家から財界人、軍人まで8つのカテゴリーで勢揃い。中でも力道山や植村直己が並ぶ偉人の章がユニークだ。写真は全てムック版の大きさを活かしたモノクロ。簡にして要を得た各人の評伝も大いに読ませる。